ニュースの現場に居合わせることがある。
少し前、痴漢と疑われた男が線路に飛び降りて逃げたというニュースがあった。
これは、何件か起こったのだが、俺は、たまたまそのうちの一件の現場に居合わせた。
電車に乗り込み発車を待っていると、どこからか女性の声が―小さくはあったが、その調子から怒鳴っていると思われる声が―聞こえてきた。
「何だろう?」と思い、車両の出入り口から顔を出して駅のホームを見回してみると、ひとりの女性がサラリーマン風の男の腕をつかみ、怒鳴っていた。
なにを言っているか聞こえなかったが、状況からして「痴漢か?」と思った。止めに入ったものか駅員を呼んだものかと迷っているうちに、駅員が数人やってきて、「これで何もしなくていいわ」そんな風に安堵した瞬間、男は女の手を振りほどき、ホームから線路上に飛び降り走り出していった。
女は泣き崩れ、駅員のうち数人が彼女に付き添い、他数人は線路上を伺い、電車はすべてストップし、俺は仕事に遅刻した。
その後、都内の各所で同様の事件が数件起こった。
この時興味深かったのは、この事件をきっかけに、以前からあった「痴漢冤罪をなくそう」という機運がさらに高まったことだ。
曰く、
「男がこのような行動に走ってしまうのは、痴漢とされ捕まってしまえば、無実であっても『逃げたんだからやったんだろう』とか『女性が嘘をつくはずがない』とか不合理な理由でほぼ確実に有罪とされてしまうからだ」と
俺もこれに同意する。
実際、この話を職場の人間にしたら、「逃げたってことは、やってたんだろうね」と言う人がいた。
この、いわゆる「推定有罪」の考え方は、なかなか人間はやめることができないらしい。
次の記事を見てほしい。海外ユーザーが選ぶ「サッカー界で起きたフェアプレー&リスペクト大賞ベスト10」
この中には海外で起きた「素晴らしいフェアプレー」が挙げられているが、その中の3位と2位が気になる。
自分が犯したファウルを自ら、「ファウルだった」と申告し、あるいは自分が受けたファウルを「ファウルではなかった」と申告し、その判定を覆らせたものだ。
これがたたえられているようだが、これはちょっとおかしい。
おかしいのは、その判断をした審判だ。
スポーツにおける審判は絶対の存在である。もちろん、人間の判定に絶対はないからそれは非現実的なことだが、少なくともそういう建前でなければ、ルール通りにスポーツは進められない。
その審判が、選手の抗議によって判定を覆すというのは基本的には良いことではない。
審判が覆した理由は恐らくこうだろう。
「自分が損をすることを嘘をついてまでするはずがない。だから本当だろう」
合理的に見えるかもしれない。
しかし、これもまた「推定有罪」だ。
「本人が罪を犯したと言ってるんだから本当だろう」そんな考え方のもとで生まれたのが「自白は証拠の王」という考え方であり、取り調べにおいて自白の強要が行われ、多くの冤罪が産まれた。
という経緯があったからこそ、徹底的な証拠の検証によって有罪無罪を決定するようになったのではないか。
にもかかわらず、その前近代的な発想がそのままたたえられているのを見ると、暗澹たる気分になる。
もしこれが素晴らしいというのなら、ここで俺が「俺は人を殺したことがあります」と言ったら俺は何の証拠もなく有罪なのだろうか?
いや、選手の行為はたたえられていいかもしれないが、それによって審判が判定を覆してしまったというのは悪い前例として非難されるべきだ。
審判はこう言うべきだった。
「審判の判定は絶対だ。君のその精神は素晴らしいと思うが、我々が君の主張を確認できない以上それにしたがうわけにはいかない」と。
俺はTwitter上で以下のようなアンケートをとったことがある。
「あなたはTCGの大会のジャッジです。その大会では不正を行うと即失格です。
ある人が「自分は不正をした」と申告した。しかし、対戦相手は気づいておらず、あなた自身でも確認できなかった。
あなたの判断は?
1.失格
2.失格ではない」
このアンケートに150人の票が集まった。そしてそのうちの53%が「失格」に票を入れた。
真意は不明だが、これが「本人が言っているんだから本当だろう」で投票したのなら心配だ。
これでは、痴漢冤罪、いや、あらゆる冤罪が無くなるはずはない。
この例で言うと、当然俺は「失格ではない」に一票だ。そして、その後どうするかと言えば、まず、その申告した相手に注意をする。可能なら、対戦終了まで観察をする。それができないのなら、今後は不正があった瞬間に手を止め、場の状況を変えないようにお願いしておく。そして、同様のケースが繰り返されるようならば失格にする。理由は、「不正行為」ではなく、「審判を何度も呼び出し運営を妨げた」である。
サッカーの場合は先ほど言ったとおりだが、ジャッジミスをそのままにしては良いと思っていない。
例えば、反対意見もあるようだが、サッカーにもビデオ判定を取り入れていいと思う。出来ないというなら仕方ないが、とにかく判定を少しでも正しくするために、あらゆる方策が検討されていい。
「反則の自己申告って、なんかステキやん☆」
そんな気分によって、その主張を受け入れるのは、ただ冤罪を生む土壌をはぐくむだけである。
「感情論を排除し、理に徹する」それこそが人間がこれまで獲得してきた知恵ではないだろうか?
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少し前、痴漢と疑われた男が線路に飛び降りて逃げたというニュースがあった。
これは、何件か起こったのだが、俺は、たまたまそのうちの一件の現場に居合わせた。
電車に乗り込み発車を待っていると、どこからか女性の声が―小さくはあったが、その調子から怒鳴っていると思われる声が―聞こえてきた。
「何だろう?」と思い、車両の出入り口から顔を出して駅のホームを見回してみると、ひとりの女性がサラリーマン風の男の腕をつかみ、怒鳴っていた。
なにを言っているか聞こえなかったが、状況からして「痴漢か?」と思った。止めに入ったものか駅員を呼んだものかと迷っているうちに、駅員が数人やってきて、「これで何もしなくていいわ」そんな風に安堵した瞬間、男は女の手を振りほどき、ホームから線路上に飛び降り走り出していった。
女は泣き崩れ、駅員のうち数人が彼女に付き添い、他数人は線路上を伺い、電車はすべてストップし、俺は仕事に遅刻した。
その後、都内の各所で同様の事件が数件起こった。
この時興味深かったのは、この事件をきっかけに、以前からあった「痴漢冤罪をなくそう」という機運がさらに高まったことだ。
曰く、
「男がこのような行動に走ってしまうのは、痴漢とされ捕まってしまえば、無実であっても『逃げたんだからやったんだろう』とか『女性が嘘をつくはずがない』とか不合理な理由でほぼ確実に有罪とされてしまうからだ」と
俺もこれに同意する。
実際、この話を職場の人間にしたら、「逃げたってことは、やってたんだろうね」と言う人がいた。
この、いわゆる「推定有罪」の考え方は、なかなか人間はやめることができないらしい。
次の記事を見てほしい。海外ユーザーが選ぶ「サッカー界で起きたフェアプレー&リスペクト大賞ベスト10」
この中には海外で起きた「素晴らしいフェアプレー」が挙げられているが、その中の3位と2位が気になる。
自分が犯したファウルを自ら、「ファウルだった」と申告し、あるいは自分が受けたファウルを「ファウルではなかった」と申告し、その判定を覆らせたものだ。
これがたたえられているようだが、これはちょっとおかしい。
おかしいのは、その判断をした審判だ。
スポーツにおける審判は絶対の存在である。もちろん、人間の判定に絶対はないからそれは非現実的なことだが、少なくともそういう建前でなければ、ルール通りにスポーツは進められない。
その審判が、選手の抗議によって判定を覆すというのは基本的には良いことではない。
審判が覆した理由は恐らくこうだろう。
「自分が損をすることを嘘をついてまでするはずがない。だから本当だろう」
合理的に見えるかもしれない。
しかし、これもまた「推定有罪」だ。
「本人が罪を犯したと言ってるんだから本当だろう」そんな考え方のもとで生まれたのが「自白は証拠の王」という考え方であり、取り調べにおいて自白の強要が行われ、多くの冤罪が産まれた。
という経緯があったからこそ、徹底的な証拠の検証によって有罪無罪を決定するようになったのではないか。
にもかかわらず、その前近代的な発想がそのままたたえられているのを見ると、暗澹たる気分になる。
もしこれが素晴らしいというのなら、ここで俺が「俺は人を殺したことがあります」と言ったら俺は何の証拠もなく有罪なのだろうか?
いや、選手の行為はたたえられていいかもしれないが、それによって審判が判定を覆してしまったというのは悪い前例として非難されるべきだ。
審判はこう言うべきだった。
「審判の判定は絶対だ。君のその精神は素晴らしいと思うが、我々が君の主張を確認できない以上それにしたがうわけにはいかない」と。
俺はTwitter上で以下のようなアンケートをとったことがある。
「あなたはTCGの大会のジャッジです。その大会では不正を行うと即失格です。
ある人が「自分は不正をした」と申告した。しかし、対戦相手は気づいておらず、あなた自身でも確認できなかった。
あなたの判断は?
1.失格
2.失格ではない」
このアンケートに150人の票が集まった。そしてそのうちの53%が「失格」に票を入れた。
真意は不明だが、これが「本人が言っているんだから本当だろう」で投票したのなら心配だ。
これでは、痴漢冤罪、いや、あらゆる冤罪が無くなるはずはない。
この例で言うと、当然俺は「失格ではない」に一票だ。そして、その後どうするかと言えば、まず、その申告した相手に注意をする。可能なら、対戦終了まで観察をする。それができないのなら、今後は不正があった瞬間に手を止め、場の状況を変えないようにお願いしておく。そして、同様のケースが繰り返されるようならば失格にする。理由は、「不正行為」ではなく、「審判を何度も呼び出し運営を妨げた」である。
サッカーの場合は先ほど言ったとおりだが、ジャッジミスをそのままにしては良いと思っていない。
例えば、反対意見もあるようだが、サッカーにもビデオ判定を取り入れていいと思う。出来ないというなら仕方ないが、とにかく判定を少しでも正しくするために、あらゆる方策が検討されていい。
「反則の自己申告って、なんかステキやん☆」
そんな気分によって、その主張を受け入れるのは、ただ冤罪を生む土壌をはぐくむだけである。
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