また体罰問題が発生した。

埼玉県武蔵越生高校のサッカー部でコーチが部員に暴行を働いているところを、動画で撮影され、それがツイッターに流れた。参考記事

いったい何度同じことが起こり、同じように炎上すれば、この問題はなくなるのだろう?

最近の風潮も知らないわけではないだろうに、このコーチはあまりに間抜けだ。

さて、このコーチは30代だという。おそらく、古き良き(笑)日本の”精神論”を宿した「団塊の世代」に育てられた世代だろう。

最近俺は、このぐらいの世代で、古い老害的な価値観を持つ人間のことを、若年寄をもじって「若老害」と呼ぶことにしている。

若いくせに、合理的客観的考えも出来ず、柔軟な新しい考えも出来ず、ただ教わったことをそのまま(このおっさん連中に合わせた表現をするなら「壊れたカセットテープのように」というやつだ)繰り返すだけ。

それが若老害だ。

さて。

体罰というと、実際に受けたことのある世代は「熱心さの証」とか「愛情表現」とか「指導の一環」などと肯定的な表現をする。

上の記事でも、「意欲に物足りなさを感じて、行き過ぎた行動をしてしまった」という件のコーチのコメントを報道している。

しかし、これらは全て屁理屈である。

その理由を説明しよう。

普通、大人は大人を殴らない。会社で指導するときでも殴らない。どんなに熱心な指導者だって。
このコーチだって、大人は殴らないだろう。
なぜか?

大人同士で殴ると、傷害罪、暴行罪として訴えられかねないし、そもそも殴り返されかねない。

子供なら殴るのはなぜなのか?(たとえ本当は刑事犯罪として訴えられかねないことでも)世間の風潮として罪に問われにくいし、殴り返しても来ない。

つまり、反撃されないとわかっているから殴っている。

だから、「熱心だから」とか「愛情表現」などでは絶対ない。

「行き過ぎ」と言っているが、そもそも何かの延長線上にない。

「殴りたい」という願望からスタートしている。

こういうところに、たぶん自分でも気づいていない。

コーチの仕事を辞めさせられたわけだから、ゆっくりと自省して気づいてほしい。

しかし、こういうコーチも、おそらく自分が言った言葉を使って体罰を行う連中に育てられたのだろう。

だから、「間違ってなんかいない」と。「間違ってないけど、時代が変わったせいで俺たちは不遇をかこっている」。そんな風に思っているかもしれない。

そんな若老害にかけられた呪いを解いてやろう。

あなた方が受けた指導方法は間違っていたし、

それは時代とは関係ない。

最初から間違っていた。

あなたはそれに対して抵抗する権利を持っていた。

逆らってよかったし、反対してよかった。

「間違っている」と言ってよかった。

あなたはただ、理不尽な暴力と圧力で押さえつけられていただけだった。

あなたが受けた教育は間違っていた。



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