「知性のない愛情には意味がない」と似た言葉で(というより、俺がそれに似せて作ったのだが)「力なき正義は無力」という言葉がある。

俺は「ダイの大冒険」というマンガでその言葉を見た。

また、アニメ「ガンダムseed」でも似た意味の言葉として「想いだけでも、力だけでもだめなのです」というものがあった。

それらはおおむね正しいものとして受け入れられているようだ。

確かに俺もそう思う。

間違っていることがあると思うなら正すために行動すべきで、そしてそのためには力がいる。
するだけでも力がいるし、結果を出したいならなおさらだ。

俺も唯言を書くという行動を起こしているが力足らず、大きな成果は出せていない。

さて、そんな話はさておき、俺がここで言いたいのは、なぜ「知性のない愛情には意味がない」という言葉は耳にしないのか、ということだ。

聞いたことがあるだろうか?この言葉。俺はない。だから俺が作った。

なぜ存在しないのか?

まあ、だいたい想像はつく。

「正義」の方が使われるのは、たいてい幼稚な正義を振りかざす子供だ。それをいさめるために使われる。そして、大人には使われない。

大人になれば幼稚な正義感を(良い意味でも悪い意味でも)持ち合わせていない。仮にあったとして、それをやらなければならないとして、例えば刃物を持った暴漢に襲われている人を助けなければならないとして、そこで正義を発揮できなかったとして、それを、まともな人間だったら非難などしない。そういう場面で勇気を、力を出すことが困難なことを知っているからだ。

つまり、正義は時に行わなくてもいいのである。(いや、行ったほうがいいんだけど)

しかし、愛情は違う。

正義と違ってどんどん発揮しなければいけない。

子供に、恋人に、夫に、妻に、友人に、隣人に発揮しなければならない。

そうしなければ薄情な人間だと思われる。その強度に違いはあっても、基本的に愛情は24時間年中無休だ。

そして、何より正義と違う点は、子供が発揮するよりも大人が発揮する機会の方が多い。

特に親は、自分の子供に対して誰に対してよりも強く発揮しなければならないことになっている。

ということは、どうなるか?

「知性のない愛情には意味がない」という言葉は親に対して使われることが多くなる。

要するに

「子供をいさめるための言葉はいくらあってもいいが、自分をいさめるための言葉は合っては困る」

ということだろう。

言葉が存在して、はじめてそのことを意識できる。ということってあると思う。

他人に対して愛情を示すには、知性がいる。無知な愛情は他人を傷つける場合がある。

漠然とはわかっていても明白に言われなければ意識できないんじゃないかと思う。できてないから考えることを重視しないまま愛情を示せていないと思う。

だから、各地におかしなしつけだしごきだ指導だが残っているのだろう。

そういう意味では、俺は歴史的な偉業を達成したように思う。

そんなわけで、先の記事はどんどん拡散して、この言葉をどんどん使って広めていってほしい。

そうすれば、きっと世界はよくなっていくはずだから。

いや、冗談でも皮肉でもなくそう思っている。

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