ここでわかってほしいのは、

「いる」とされている幽霊だって、この程度の推測でしか説明されていないこと。

そして、それらの説明が通るのなら、俺の仮説だって通るはずだということ。

通らないというなら根拠を示してほしいこと。

示せないのなら、それはただのわがまま、幽霊がいるという仮説はいくらでも支持するけれど、いないという仮説は少しも支持したくないというわがままでしかないこと。

以上である。

なにやらいろいろ言ってきたが、とりあえず真っ先にわかってほしいのは、「信じている」ということと「事実である」ということはちがうということ。

このふたつをきちんと区別してもらえれば、心霊現象について議論する際に混乱したり、過剰に相手を敵視したりということはなくなるだろう。

まず、これを心掛けてもらったうえで実行してほしいことは、

「信じている」ことは否定しないこと。
これは、幽霊を信じている人もいない人も同様だ。相手が幽霊がいると(あるいは、いない)と「信じている」だけならそれは放っておく。
議論の相手とするときは、それが「事実である」と主張したときだけだ。

「事実関係の否定は信仰の否定ではないこと」を理解する。
議論を混乱させる原因は、「自分が主張した事実が否定されたことで、自分の信仰まで否定された」と感じる人間の怒りであり、あるいは逆に、「事実関係を否定できたら、相手の信仰さえ否定しにかかる」人間の敵意であるように感じる。
そして、どちらも最終的には人間性さえ否定しようとさえしているように見える。

これでは冷静な議論などできまい。

あくまで、議論にて決着をつけるなら、信仰と事実、信仰と人格、人格と事実は全て別のものだということを理解すべきだ。

そして、これらすべては「事実に対して忠実になる」という一言に集約されると思う。

(続く)

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