そういう反発が面倒だったから、そしてなにより、違うものを混同させず明白に区別することの大切さを知ってほしかったからだ。

「考え方」と「事実関係」は違う。

「考え方」は人それぞれだが「事実関係」は客観的に観察できるものだ。

「考え方」は人格であるかもしれないが、「事実関係」は人格とは無関係だ。

「関係ある!」というのなら、あなたの人格が変われば地球の自転方向が変わるのだろうか?

「事実関係」と人格が関係あるというのはそう言うことだ。

そうでないと同意してくれるのなら、やはり「事実関係」と人格は無関係であり、事実の誤りを指摘するのは何も人格を否定しているのではない。

最近、つくづく「細かく分ける」「きちんと区別する」ということの重大さを感じる。

世の中で、難しい、あるいは複雑だ、あるいはそう簡単に答えが出ないとされているもののいくつかは、この2つによって解決されることがある。

特に、「考え方」と「事実関係」を分けることは、真っ先に実行することをお勧めしたい。

この2つは全く違うものだ。
しかし、ほとんど混同されている。

そのせいで、ある人が語った「事実関係」を否定すると、その人の「考え方」まで否定したかのように受け取るが、そうではない。

そうではないのだ。

俺は、過去に「言葉の裏を読む」人について言及した。

些細な言葉の「裏を読」み、ひとりで勝手にキレだすような人のことだ。彼らは、他人から言われた言葉を、たいていの場合自分にとって悪いように受け取り、おこる。

例えば「なぜ?」と言われたら「文句言ってる」というのがそれだ。

俺は、それを「勝手な解釈をしている」ものと考え、そう書いたが、違ったかもしれない。正確には、そうでない人もいたかもしれない。

ここまで書いてきたように、ただ単に、「断定する考え方しかできない」という人もいたかもしれない。

まあどっちであれ、「歪んだ解釈をしている」という結果に変わりはないが。

(続く)

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