少し話はそれるが、関連があるのであるテーマについて話をさせてもらいたい。

一部の人の中には、どうも、「考え方」と「事実関係」を混同するだけでなく、それを「自分の全人格」だと思っている人がいるようなのだ。

これは確認したわけではないが、ただ、そういう人との会話におけるその人のリアクションを見ていると、そうとでもなければ説明がつかないような、不可解な態度をとる人がいる。

ほんの些細な事実関係の過ち、勘違いを指摘しただけで、激しく怒る、あるいは反発する。
指摘したこちらが、いったいどうしたことかと思うほどだ。

この「唯言」を始めた時に、真っ先に母親との会話の例を挙げたが、俺の母親もまたこういうタイプだった。

些細な間違いを指摘しただけで、激しく怒る。疑う余地なく彼女が間違っているときでさえ、窮鼠猫を噛むということなのか、溺れる者は藁をもつかむということなのか、自らの正当性をなにがなんでも証明しようとする。(しかも時には、その些細な間違いというのは、ちょっとした言い間違いだったりする。)

これはあくまで俺の考えで根拠はないが、そういう人は、オカルトの話をするとあぶりだすことができる。(もちろん、相手がオカルトの類を信じていることが前提だが)

どうも、多くのオカルトを信じている人にとって、それはその人の人格のすべてであるようだ

幽霊でも、UFOでも、少し否定的なことを言うだけでまるでそのことすべてが否定されたかのように、ひいては自分の全人格が否定されたかのように反発する。

その人が「これが正しい。間違いない。」と信じていることに、否定的に言及すると激しく反発する。

「俺は間違ってない!」という主張から、「俺の言い分にも一理あるはずだ!」というものに変わり、最終的には「俺は悪くない!」という話に切り替わる。

こちらとしては、「一理もない」とも言ってないし「悪い」とも言ってないのだが…

ちなみに、そんな指摘の具体例は、もうわかっているかと思うが、これまで話してきた「幽霊」に関する証拠の不備である。

このようなことを言うと、上のような反応がしばしば返ってくる。

俺がここまでしつこいほど、「『考え方』と『事実関係』」は違う」と繰り返したのはそれが理由だ。

(続く)
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