「『質問に答えてもらえず、それを自分で考え、あるいは調べたらよく身についた。』

それだけを確認できさえすればいい。それが確認するということ。」

そんな風に思っているのではないだろうか?

だが、それは間違いだ。

実証に、比較となる対照実験は必ず必要だ。

新しい薬が効くかどうかを知りたければ、その薬を飲んだ結果だけを調べるのではなく、違う薬も飲んでみて、その結果と比較しなければならない。ついでに言うと、何の薬も飲まなかった場合とも比べなければならない。

新薬を飲んで治った!と言っても、他の薬より治りが遅い可能性だってあるし、飲まなかったとしても一緒だったかもしれない。

例えば「具志堅用高はアフロだったから世界タイトルを13度防衛できた!」という主張をしたい場合、

・アフロじゃない具志堅用高

これを用意して、ボクシングをやらせなければならない。

できるなら

・オールバックの具志堅用高
・アシンメトリーの具志堅用高
・サラサラロングの具志堅用高

などを用意できるととてもいいだろう。

とにかく大事なのは対照実験だ。

「質問に答えない」というのは、特に子供が相手だった場合は、教育的効果を狙ってやっているような節があるが、俺からすれば、「実証に対照実験は必要ない」と思ってしまうことの方が教育に悪い。と思う。

大人がさせたがる「学校の勉強」にも悪影響が出るだろう。特に、理科の成績に。

(続く)

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