「私が心配して辛い思いをしているんだから、心配かけないように一生懸命努力しなさい。それが子供の当然の役目だ!」

と、親は“全体重”をかけて子供に圧し掛かる。一つの心配が消えればまたもう一つと、決して離れようとしない。

これが、子供にとってどれほど負担になるかは容易に想像できる。なんせ、俺も圧し掛かられた側だからだ。

そうして、子供は親を「うざい」と思うようになるのである。

これを、「親はあなたを大切に思って!」と言ったところで無駄である。

「大切に思っている」それを理解していても、“後出しじゃんけん”を繰り返したという事実は消えない。

それがある限り、「きっとまたやる」という疑惑は解けないだろう。

これを「愛情アピール」でどうこうしようというのは、完全に的外れだ。

愛情は信頼を作らない。

愛情は、それはそれは素晴らしいだろう。しかし、信頼とは別物だ。信頼されたければ、「約束を守る」というような基本的なところから自分の誠意を見せる必要がある。そうではないだろうか?
そうだと、俺は、他でもない親をはじめとする大人たちから教わった記憶があるが?

愛情と信頼は別。
心配は、好意と同じく、する側の一方的な行為。

このあたりを理解して、今までの常識を、親が捨てない限りは、心配をめぐる親子の争いと葛藤はなくならないだろう。

親が主に努力する必要がある点は、強調しておきたい。

(続く)

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