さて。
以前言った通り中原中也「春日狂想」について、話を始めていきたい。

ただ、一つ注意。

これから話していく解釈はすべて俺の独断だ。この詩はおろか中原中也について特に研究したわけでもない。
だから、「そんな素人の意見なんぞ聞きたくない!」と言う方は、この段階でスルーを推奨します。

では始めよう。

「愛するものが死んだときには自殺しなけあなりません」

衝撃的な一節から始まるこの詩。

ご存知の方も多いかと思うが、中原中也は幼い長男と死別した。「愛するものが死んだ」とは、その長男のことなのだろう。

「自殺しなけあなりません」

詩と言えば遠回しでロマンチックな言葉がつづられていそうなものだが、「自殺」というストレートで残酷な響きのある言葉が続く。

しかも、

「愛するもののために死ぬ」

ということではなく、

「愛するものが死んだら死ぬ」

のだという。

「愛するもの」が、危機に瀕していて、そこから救い出すには命を捨てねばならない、そんなとき、自分の命を捨てて助ける。

そんなものではなく、

愛するものが死んだ、だから死ぬ。

そんな死。

無意味なようにも投げやりなようにも思える死。

それを

「しなけあいけない」という強い口調で語る。

これは一体どういうことだろうか?

(続く)
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