例えば、最初の例で言えば、俺は野菜を洗う理由が知りたかっただけであり、それを教えてほしいというのが「上限」だ。

もっとシンプルな例で考えよう。

例えば、今日の日付と時間を聞かれて、「9月26日10:00」と答えようとした場合、それが上限だ。

人の発言、言いたいこと、伝えたい情報には上限がある。

それを、先読みしたところで、結果的に伝わる情報に違いなどあるだろうか?いや、そんなもの、どこにもないはずだ。

俺の「言葉の裏を読む」ことに対する最大の疑問はここにある。

結果的には、言葉の裏を読んでいようといまいと同じなのに、なぜか言葉の裏を読むほうが良しとされている。

いったい何のメリットがあるのだろう?

俺に思いつく可能性は一つしかない。

それは

「気分」

これだけ。

「多くを語らずとも分かり合えるって、なんか素敵やん」

という、よくわからないロマンチックな夢想を抱き、言葉の裏を読みたがっているのではないだろうか?

はっきり言って俺には迷惑な話だ。

合理的に何のメリットもない方法を他人に押し付けるのは止めて欲しい。

可能な限り付き合いたくはないものだ。

(続く)

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