そして、もう一つ。
例えばテレビで幽霊だかなんだかについて討論するとき、登場した科学者が、ある超常現象について明確に説明できなかった場面を見たことがある。
その時出演者たちが、一気に幽霊肯定派に傾いていったことがあったが、

まったく短絡的だ。

まあ、信じたいならそれは自由だが、ひとりの科学者が説明できなかったとて、それは、その人が説明できなかった、と言うだけのことで、科学全体のことではない。別の誰かなら説明できたかもしれない。

ディベートなら、参加者が説明できなければそれで敗北だが、実際の議論はその後も続く。
その時、一科学者が説明できなかったから、と言うのはそれが科学で説明できない理由にならない。

では、世界の誰も説明できなかった場合は、幽霊の証明になるだろうか?

ならない。


全科学者が科学で説明できない場合、それは科学を超越した現象であることを証明しない。
なぜなら、それは、あくまでも

現在の科学では証明できないというだけのことだからだ。

将来的に科学が発達すれば解明できるかもしれない。

今はまだ、全人類の知恵が足りないだけかもしれない。
説明できないことが、今後も証明できないことにならないし、可能性さえ思いつかないからって、有り得ないことにはならない。

思いつかなかったら有り得ないという考え方が、いかに無意味かということも少し付け加えて説明しよう。

簡単なのですぐ終わる。

例えば、皆さんは東日本大震災の発生を想像できただろうか?
その後の原発事故は想像できただろうか?
今年、観測史上まれに見る猛暑だったことは?
東京オリンピックのエンブレムに盗作疑惑が起こることは?

想像できたものなどいないだろう?

世の中では、想像できないことがいくつも、そして絶えず起こっていて、その例に枚挙にいとまがない。
それなのに、「自分の想像は常に当たる」などと考えるのは、あまりに現実が見えていない。

つまり、次のように言えると思う。

「想像できないすべての物事は起こり得る」


長々話してきたので、勘違いを起こす人がいるかもしれないので念のために言っておくと、科学で説明できないのに幽霊の存在を証明することにならないのは、幽霊が実在する証拠が見つかっていない場合だけ。
幽霊が実在する証拠があれば、当然幽霊は存在する。


下のバナーを1クリックお願いします。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村