さて、ではここまで話せば十分なので、「言葉の裏を読む」ことに話を戻そう。

と言っても、もう気づいている人もいるかもしれないが。

「幽霊が存在する客観的事実」を「発言の真意」、「幽霊を信じたい」と言うのを「言葉の裏への読み」と置き換えてもらえばいい。

つまり、

発言の真意はその読み通りではなかったとしても、そう思いたいならそれは自由

だということ。

俺はこれまで、言葉の裏を読むことの不都合をいろいろ語ってきた。

だが、それは、「言葉の裏を読むこと」それ自体を否定したいからではない。

ただ、その不都合と実態を知っていてほしかっただけだ。
それらをすべてわかった上で、言葉の裏を読み、そして実際に読みを外したときに、それでも読み通りに考えたいというなら、それを止める気はない。好きにしてくれていい。

問題なのは、外したときの態度だ。

「嘘をついている!」と言うのなら、幽霊の場合もそうであるように、その証明をしてほしい。
「わたしが正しいに決まっている!」と逆上するなどもっての外だ。
外したなら外したことを素直に受け止めて欲しい。しかし、それは自分の考えを否定されたわけではない。事実は事実として受け止め、そして、

「そうでしたか。でも、私はそう考えたいので、そうします」

と穏やかに言ってほしい。

そして、もしその時の会話の場にいなかった人に、そのことを話すときは、こう言ってほしい。

「あの人がこういう意図でこう発言した。しかし、私はこう解釈したいので、そうしています」

と、読みがあくまで自分で好きに考えたことだと伝えて欲しい。

たとえ事実が何であれ、あなたの考え方それ自体は否定されない。
逆に、あなたの考え方が何であれ、事実それ自体は捻じ曲がらない。


こう言えばいいだろうか?

「事実と考え方は“別腹”だ」

と。

(続く)

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