「謙虚さ」と矛盾する

ということだ。

俺自身、なぜか人からは傲慢に見えることがあるらしい。

実際、「謙虚になれ!」と何回も言われてきた。

特に、親や、教師、上司と言った、訳知り顔で目上然と振る舞いたがる人間がよく言ってきた。

しかし、同時に彼らは、俺に対して「相手の言葉の裏を読め!」とも言ってきた。

気づいていない人が多いようだが、この2つは完全に矛盾する。

決して両立し得ない。

俺の記事をここまで読んできた人は、大体見当がついているだろうが、例として挙げた「言葉の裏を読む」人間の態度は、決めつけが激しい。

こういう態度を「傲慢」という。

…言うよね?

言わなかったら驚きだ。

そして、実際その通りで、「言葉の裏を読」み、それに沿って話を進めるためには、

(自分の読みは間違っているかも…)

なんて、決して思ってはいけないし、実際思ってもいないだろう。

(この人は、私とは違うルールに従って話をしているかも…)

などと思っていては、会話が成り立たない、と少なくとも「言葉の裏読み人間」たちは考えるだろう。
仮に思っていたとしても、実際に表に現れる言動は傲慢さが反映されたものにしかならない。

もう気づいたかもしれないが、俺が言いたいのは、

「本当に謙虚なら、俺がやっているような態度で会話に臨んでいないとおかしい」

ということ。
別に、自分が謙虚であると自慢したいわけではない。
後述すると思うが、俺の価値観では、謙虚さが自慢になるなどと思ってはいない。

しかし、実際に、謙虚さを発揮すれば「違う意味があるかもしれない」という発想に辿りつかねばおかしいはずだが?

「言葉の裏を読む」上で何より大事なのは決めつけだ。実際に彼らはそうしている。
そこで必要になってくる心の持ちようは

「傲慢」

このひとつに尽きる。

「言葉の裏を読む」。これは日本の美徳であるという。「謙虚さ」これも日本の美徳であるという。

だが、この2つは矛盾する。


悪いが、どちらか片一方にしてくれ。

(続く)

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