それは、

その「読み」は可能性の一つにすぎないからだ。

俺の考え方は以下の通り。

「この人〇〇って言った。よくあるパターンだと××っていう裏が有る奴だ。でも、その考えには根拠がない。ただの可能性だよな」

こんな感じ。

そして、
「だったら、確定している〇〇ってことで話を進めよう」
と考えるか、
「どういう意味なのか、いったん確認しておこう」
そして、もし可能なら
「どっちであっても良いような対応しよう」

という、3つの選択肢から選んでいる。
当然
「××っていう裏が有るに決まっている」

という選択肢はない。

言葉に裏を込めて話す人間にとっては信じられないかもしれない。
だが、しょうがない。

何度も言うが、「自分が思った言葉の裏は可能性の一つにすぎない」からだ。

これは逆も成立する。

「言葉の裏を読む」のが好きな人は、自分も言葉に裏を込めて話すだろう。

だが、忘れないでほしいのは、

「言葉の裏に込めた意味は自分にとっては自明でも、相手にとっては可能性の一つにすぎない」

ということだ。

もしここで、「そんなはずがない!」

と言うのなら、それはやっぱり、「ルールが決まっている」かあるいは、他の意味がある可能性が(言葉通りの意味があるという可能性さえ)考えつかないほど想像力が欠如しているかのどちらかだ。

さて、「言葉の裏を読む」コミュニケーション方法は、もう1つ、ある問題がある。

それは…

(続く)

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