こんばんは、まるこめです。

内容的にあれなので、珍しく夜投稿です。









注:書いている今現在は日中です、センチメンタルになった深夜とかに、ウツウツと書いているわけではないので安心してください笑

あと、めちゃくちゃ暗い話とかでもありません(^^)








最近じつは、ずーっと、この話を誰かに・もしくはどこかで話してしまわなきゃなぁ、という気持ちが何故かフツフツと胸の中に湧いてきていました。

何故だろうなぁー。




だけどなんだか踏ん切りがつかなくて、タイミングも分からなくて、


それが喉の1番上にフタみたいなってるもんだから、他の話もいっしょになって出てこれない、そんな感じでした。













おそらく誰もが多少なりともあると思うんですね。

皆さんもありますか?小さいトラウマみたいなやつ。

悩み尽くす程じゃないんだけど、それに近いことがあるたびにチクッとする、そんなこと。












私の場合はこんな些細な出来事でした。





かなりかなり前の話になるのですが、私は以前販売のお仕事をしていました。


いわゆる、商品を見ている方にお声掛けをして、販売促進をするようなお仕事。











しゃべるのが好きだったり得意だった訳じゃなく、むしろ苦手だったのに、なんだかチャレンジ精神で入社してしまい、最初はほんとに上手くできず失敗ばかりでした。





そのうちに、なんとなくやり方が分かるようになってきて、少しずつ慣れてきた日、後輩が入ってきたんです。


(かなり前の話なので記憶がそんなに鮮明なわけじゃなくて、実際は時系列や詳細が違うかもしれません、ご了承ください)







でね、最初はベテラン勢の方が後輩さんの教育をしていたんですが

ある日私が教える役回りの日があったんですね。









その後輩さんも、日々とても試行錯誤しているのが伝わってきて



私も同じだったから、なんとか上手くいくようにサポート出来たらと、いろいろ話していたんです。







こういうやり方はどうかな?

こういう方法もあるよ。






↑言い訳になってしまいますが、正直に言うと、私も20代入りたてくらいだったので、言い方や表現方法はもっと荒々しかったと思います。







その会話の中でね、その後輩さんにこう言われたんです。






「それって精神論ですよね。方法論が知りたいんですけど。」











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(先日頂いた、仙台市のフレーズという有名なケーキ屋さんのクッキー。
ケーキ屋さんのクッキーって、ものすごい美味しいですよね!)





















心から言いますが、その人を責めたくて書いてる訳ではありません。ほんとに。


それに、後輩と書きましたが、数年勤めたので、その月日の中で入ってきた後輩はかなりの人数で。

実際じゃあ誰に言われたのか?
今書きながら思い出そうとしているんですが、おかしな話ですがどうも思い出せない。


だから、いろいろと定かではないんですが、その方もきっと上達したい、成長したいっていう一生懸命だった中で、悪意のない、素直な感想だったんじゃないかなぁと思います。














でも私、それを聞いたらすごく恥ずかしくて。



そんなつもりはなくって、私なりに大事だよって思う事を伝えているつもりだったから。



なにをしょうもないことを懸命に語ってたんだろうって、ものすごく自分が馬鹿みたいに思えて、頰がカァッと熱くなるほど恥ずかしくなって。




そこからその「精神論じゃなくて方法論であること」にしか意味がないような気持ちになってしまったんですね。












でね。


今思うのは、どちらもきっと必要なんですよね。


精神論、いわゆる心持ちというか心構えは、きっと行動のベースというか指針になるものですね。

方法論、は具体性があって、もし何かを教えてもらう立場なら、この具体性がある方が分かりやすいし、なにより実践しやすい。



どちらも、大事。












その上で、あえて言うなら、きっと私は「心」が好きなんだと思う。

去年心理の資格を取ってみて再確認しました。

どちらが大事とか、優位とか、そんなんじゃなくて。

私、「心」が好き。














この些細なトラウマ経験から、長年自分のそう言う、「心」のありようとか動きにどうしてもフォーカスしてしまう性質を否定してきました。

しょうもないもんだって。

でもどんだけ否定しても、もともと持っている性質は変わらないし消えないんですね。







で、じゃあもうしょうがない、私はこういう人間なんだって受け入れて、むしろ逃げないで突き詰めようって勉強して、仕事にすらしてしまったら


あー、なんか!生きてるー!


って感じるくらい心が満たされて楽しいんです。


生きてる感が、すごい。






















あ、でもね、完全には消えてないですよ。

あれからかなりの時間が、それこそおそらく10年以上経つのですが

友人やお客さんと話をしたり、何か相談をされたりするシーンで、



アドバイスなんておこがましいけど、自分が何か言ってあげたいなってしようとするとね、実はまだ未だに先回りして聞こえちゃうんです。

「それって精神論ですよね?方法論が知りたいんですけど。」











でもこうやって、両方大事だよ、必要だよって知った上で、

「心」が軽くなったり癒されたり、ということに携わって生きていきたい、という方を選んだ。


反対側は、またそれが得意な人・好きな人・上手な人にお任せしたらいい。













ちなみに。
オラクルカードなんかをやる上では、この上なくこの思考は教えてもらってよかったなぁーと思っています。


占いって、ニュアンストークに偏りがちなんですよね。
でも皆さん、何かを変えたくてどうにかしたくて来てる。



だから、もちろんこれから先見える景色の話をした上で、具体的に本人が「行動として出来ること」を必ずひとつ提示する。


この、「その為に出来ることがある!」ってのはかなり心のお守り的になると思います。



















あ、この話長文でしたがオチはありません苦笑



こーんな昔の話なのに、こーんな些細な出来事の話なのにね、未だにみみっちく引きずってるんです。

っていう話です笑


この声が湧いて来たらね、なだめるだけ。









そうだね、あんときは、予想もしない事を言われてびっくりしたねー!

でも、どっちが悪いとかじゃなかったんだよね、新しい価値観だっただけ。

でさ、今はもう、どちらも大事だって分かるね、教えてもらったんだね。

もう、両方バランスをとってやっていけるからね。





















脳内でこのくだりを一周してから、返答してる事、多々あります。













はー

長くなっちゃった笑





なんで今この話をしたかったか分かりませんが、なんかずっと言いたかったのですっきりしました笑


読んでくれてありがとう!笑












でね。


こういう話をね、きっとみんなもってるんじゃないかなぁと思うんですね。


こんなん中々誰かに言うこともなくてさ、だから発散方法がなくて昇華出来なくて、地味にチクチクするんですよね。


で、そういう中にこそ、意外とほんとの「好き」があったりするんじゃないかなぁとか。







その方向だけは行っちゃダメ!って思って。

でもそれって、否定されたら(と、感じたら)大きな衝撃になる程、自分の中に当たり前に大きくあった何かなんですよね。

つまりもって生まれた核であることが多いんじゃないかなぁって。

小さなトラウマになる出来事って、そういうのを含んでることが多い気がします。









だからこういう話を、なんかとても、たくさん聞きたいなぁ、

オチや解決法なんてなくていい、探さなくてもいいから、みんなで言い合えたらいいなぁ、そういう場所があったらいいなぁ、



誰かに言うだけですごいスッキリするし、話すことでやっと過ぎた過去のことだって認識出来たりするから、それだけでも充分なんだけど、



発掘作業みたいに、正誤のジャッジなく、そういう中にあるその人のキラッキラのただ純粋たる本質を


「ねぇ!すごい!でっかい宝石みっけ!こんなん入ってたよー!!」


って一緒に見たいなぁ。


と、最近思います(^^)










まるこめ