「きりぎりす」太宰治 | 和して同ぜず

和して同ぜず

頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。


















人間は何ために働くのか。
最初は自分の理想を目指して働こうと考えるかもしれない。
しかし誰がなんと言おうと、資本主義経済を採用する国民国家において、働くのはカネをもらう為である。
カネを持っていなければその枠組みの中で生きていくことは困難だからである。
カネ稼ぎと認識してしまったとたん理想を追いかけることは難しくなる。
カネを受け取るために要求される仕事と理想を実現するために要求される仕事は必ずしも一致しないからである。通常は理想の水準よりも受給可能となる水準のほうが低い。




またカネは社会における評価の指標の役割も果たし、その社会における名声に比例する。
名声にはいつも「どのくらい稼げるのか?」という問いがついてまわるのである。
理想とカネにうまく折り合いをつけることができた人が、今の社会の成功者といってよい。
ここでの評価とはつまり評価基準が万人に等しい評価を意味する。仕事においての評価基準のひとつに年収がある。
職種は全く関係なく年収によってランクが決定する。
比較は批評をうみだす。
つまり、違いが発見されその違いについて優劣が決まるのだ。




「きりぎりす」の女は、カネに固執し、人間が批評しあうことに嫌悪感を抱き、そのような行いをする人々から遠ざかることを決めた。
理想を貫こうというのである。しかも他人(夫となる人)の理想を、である。
ここには大きな落とし穴がある。
他人の理想を貫こうとすることで自分における理想と現実の問題を棚上げにしているのである。
生きる為には必ずカネがいるのである。カネの心配がなければ、理想という概念は消えてしまう。始めから完全な状態だからである。



2013/01/01