日本の幽霊 | 和して同ぜず

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頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

日本には実質的な便利を下品と見る考え(日本の幽霊の親分)が古来よりある。
この妖怪的な日本的思考の結び目に当たる伏魔殿が家庭感情という。
女房と女は違うのだ。女房と愛する者は違うのだ。
しかし、この違いを言葉で説明しようとすると、私たちは言葉の不在に狼狽する。

日本的家庭感情の奇妙な歪みは浮世に於いては人情義理という怪物に、離俗の世界に於いてはサビや幽玄やモノノアワレ
(神秘の扉の奥に隠れた、言い難いもの)となる。
モノノアワレとはたいそう不気味だ。ひらがなでなくちゃ我慢ならない。
(「もののあわれ」とは感情の内容ではなく深さを表しているのだ。)

こいつは幽霊の一匹なのだろう。
(ほら、幽霊なんてどこにでもいるのだ。)
ならば、我々日本人は西洋流の学問をして実証精神の型がわかった気になっているだけではないか。
むしろ、その幽霊が合理性に覆いかぶされ、意識の外に追いやられたのではないか。
(その間に幽霊は大幽霊と自ら化しているというのに!)

いや、西洋学問を猿まねして、雰囲気だけは一丁前に、本当の仕事をないがしろにしているに違いない。

両手をポンと叩いて右が鳴ったか左が鳴ったかなどといって、人生の大真理がそんな所に転がっていると思うのかね?


本当の仕事とはなにか。
自分自身というものについて真実突きとめて生きることである。
すなわち、魂の悪戦苦闘ある。
すなわち、終生自らの肉体的な論理によって真実を探求する真の自己破壊である。

2012/2/26