自己は他者の理解によりはじめてアイデンティティ(意味)を獲得する。
逆に他者もそれ以外の他者との関係によりアイデンティティを獲得する。
自他の差異は、シニフィアン・シニフィエ体系の分節化により、あらわれるものであることを前提とすると、自他は相互補完的(或は相互依存的)に存在する。
そして、相互補完的であることを認め合うことが、自己のアイデンティティを確証することにつながる。
自己がどのようなフェティッシュな基盤に存在しているか、つまりどんな社会的な分節化に基づいているかを認識することは原子論的主観が行うことではなく、すでに共同主観がはたらいている。
つまり、単なる自己観察ではないということ。
このように自分を共同主観から布置化できたときにはじめて、人は自己のアイデンティティを獲得できる。
今求められているのは、旧来の自己だけ他者だけに閉じこもる思考ではなく、システム論的に全体構造を一望できる共同主観の地平に自他を構造的に布置、そのうえでアイデンティティを確立する手法だ。