サリンジャー「ライ麦畑で捕まえて」 | 和して同ぜず

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頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

私が初めて「ライ麦畑で捕まえて」の存在を知ったのは残念ながら、文学的関心からではない。あるテレビ番組で、この作品、いや、正確に言うとサリンジャーを取り上げていたのを見たのである。その番組では、作品の深いに無いようについての説明はなかったので今回、自分の視野を拡げるべく課題として取り上げた。早速であるが中身を見ていきたい。はじめに概要を説明する。
 一人称形式の小説である。ホールデン・コールフィールドのわずか3日間の行状を追った、素描的なものである。この作品のなかでは、電話でのそれを含めて、ホールデンと何らかの対話するのは22人である。ホールデンの想い出として語られている人物は2名。合計24人の人物について言及される。この3日間以前の、作品中に言及されているホールデンにかかわる重要な出来事には、作家である兄DBのこと、過去3回放校になっていること、弟アリーの死にまつわること等がある。過去のものを含め作中のエピソードは、ホールデンにとって受け入れられなかった経験の枚挙となっている。
 上で述べたように作品は終止、独自の感性を持つ主人公ホールデン・コールフィールドの社会に対する痛烈な批判で埋め尽くされているためようやくはほとんど不可能に近い。そのため今回は私が恣意的にではあるが重要であると感じる人物との関係を整理することでホールデンの哲学を浮き彫りにすることを目標とする。
 まずは6章におけるストラドレーターがホールデンの旧友であるジェーンとのデートから帰って来、二人が殴り合いをする場面である。ストラドレーターの台詞に「みんなはどこに行ったんだ?個々はまるで死体置場みたいじゃないか」(「ライ麦畑で捕まえて」訳者:野崎孝(以下は明記しない))とある。これは原書(「the CATCHER in the RYE」出版: Little,Brown and Company 著者:J.D.Salinger(以下は明記しない))では“Where the hell is everybody? It’s like a goddam morgue around here.”である。私ははじめ、「死体」が常軌を逸し、他人からの干渉を拒絶するホールデンを意味するのではないかと考えた。しかし、原書と見比べてみると「死体置場」は「morgue」となっている。「morgue」の意味を調べてみると確かに「死体置場」の意味もあったが次の意味でも解釈は可能ではないだろうか。【a place that has become very quiet and dull-used humorously】(Longman Dictionary of Contemporary English[4訂新版])ホールデンはストラドレーターのことを土曜の夜にみんながいない理由をわからないトンマと罵っているが、上記のような意味ならば、ストラドレーターはただ単にふざけてこの台詞を口に出したとも考えられる。著者はどちらでも意味をとれるような単語を選び、人間の発言に対する意味の捉え方の違いを描き出したと言える。
 続いて、前述の会話文以降のストラドレーターとホールデンのやり取りを列挙してみたい。
“Where the hell is everybody? It’s like a goddam morgue around here.”
I don’t even bother to answer him. Then when he was taking off his tie, he asked me if I’d written his goddam composition for him. I told him it was over on his goddam bed.
“For Chrissake, Holden. This is about a goddam baseball glove?”
“So what?” I said. Cold as hell.
“Wuddaya mean so what? I told ya it had to be about a goddam room or a house or something.”
“You said it had to be descriptive. What the hell’s the difference if it’s about a baseball glove?”
“God damn it.” He was sore as hell. He was really furious.
“You always do everything backsswards. No wander you’re flunking the hell out of here. You don’t do one damn thing the way you’re supposed to. I mean it. No one damn thing.”
“All right, give it back to me,then” I said. I went over and pulled it right out of his goddam hand. Then I tore it up.
“What the hellja do that for?” he said. I didn’t even answer him.

 ここまでは会話が成り立っていると言える。ただし、相手の質問には答えないことが多い。このあと沈黙が続くがその沈黙を破るのは意外にもホールデンである。これは、孤独から脱するため共感できる人間を求めていることを意味する。
 沈黙を破ったあとの会話はほとんど成り立ってないと言ってよい。ホールデンは質問、命令に対して無視を決め込む。一方、ストラドレーターはホールデンの質問に対して嘘で答える。やり取りをしている間にホールデンは嘘の言葉に怒りをいだく。このあと、ホールデンはストラドレーターを突然殴ることになるのだがここで注目したいのはその直前にストラドレーターがホールデンに対してシャドウボクシングをしていることだ。本当の拳と偽の拳である。これは、ホールデンがたてまえのない真実の世界(子供の夢世界)で生きようとしているのに対し、ストラドレーター(世の中の人間本文では「低能な人間」)は真実の会話をさけ、嘘で満ち満ちた空虚な世界(大人の現実世界)で生きていることを象徴している。実際、ストラドレーターに馬乗りされた際にも思ったことをそのまま発言している。ただし、異質な台詞もある。原文を見てみたい。
“If I letcha up, will you keep your mouth shut?”
I didn’t even answer him.
He said over again. “Holden. If I lecha up,willya keep your mouth shut?”
“Yes.”
He got up off me, and I got up too. My chest hurt like hell from his dirty knees. “You’re a dirty stupid sonuvabitch of a moron,” I told him.

 驚くことにホールデンが嘘をつくのである。すぐにまた思ったことを発言しているが、これはホールデンが虚構である大人の世界に自らの独自の手段で足を踏み入れつつあることをしめしていると言える。大人の正体がある程度感覚的に認識しているホールデンにとって大人が築き上げてきた処世術は受け入れがたいもであるので独自の方法を開発するしか無いのである。結果はうまくいかず、このことでストラドレーターは本気で怒り(really mad)ホールデンは殴られることになる。ここでホールデンとストラドレーターの役割が全く逆になっていることに気付くとおもうが、これは人間が双方の世界を簡単に移動可能であることを示しているのかもしれない。
 ところで、ホールデンがなぜ映画が嫌いなのかに対するひとつの解釈を示したい。ホールデン現実世界を見ると人間のいやらしい側面が目につくが子供の論理には無条件降伏する。ほとんどの映画は現実世界のいやらしい部分を巧妙に隠し、人間の美しさを賛美(純粋な子供の理論を含む)する。この人工物にたいする違和感をホールデンは敏感に感じ取っているのではないだろうか。本の場合は人間のいやな側面を包み隠さず表現されるものが多い。いやな部分を主題とする場合もあるくらいである。