某法科大学院生の憂鬱~Nの奮闘⇒挫折⇒死にかけ記録~

某法科大学院生の憂鬱~Nの奮闘⇒挫折⇒死にかけ記録~

現在、某法科大学院にて1年生をしているNです^^
正直ブログは見ての通り放置気味ですが、まぁ気が向いたときに更新します。
たぶんネタは日常、法律、恋愛、人生などなど…

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食欲の秋 読書の秋 芸術の秋 スポーツの秋 ・・・・


世の中の人達は秋を楽しんでるのかな?


私は秋を楽しむ余裕なんてないんですけどね(苦笑)


でも、芋・栗・南瓜が大好きな私は、コンビニスイーツで秋の味覚を満喫したり、文章(教科書・判例)を読んだり、芸術(事実関係図)を嗜んだりと、何気に秋を満喫してる。。。のかなぁ~?


冗談はさておき、すっかり日が沈むのも早くなって、気温の差も激しくなってきましたね。


女性は暗くなってからの防犯に、子供は風邪にご注意を☆


そんな私は昨日の昼間、玄関のドア開けっ放しで昼寝をしてしまいました(苦笑)


もう少し女の一人暮らしっていう自覚を持とうと思いました。


ってか言われました^^;


最近麺棒ダイエットしてます。


ただお風呂上りにやってたリンパマッサージを麺棒を使ってやってるだけなんだけどね。


結構痛い。。。。


てか、PCの変換がかわいそう。


【変換したい字】⇒【実際変換される字】


変換⇒返還 


痛い⇒遺体


自由⇒事由


県⇒権


パソコンちゃんが~~~~~~~~~


まぁ、携帯もこんな感じだよ。


日頃どんな文章作成してるかよくわかるね^^

コンビニで売ってた。


これが出始めると「冬だなぁ」って思う^^


私の家は大きな病院の近くなんだけど、そのせいで1日中救急車のサイレンの音がすごいの。


日中は家にいないからどんなもんかはそんなに知らないんだけど、夜帰宅してからすごい^^;


深夜もずーーーーーっとピーポーピーポーって鳴ってる。


音はもう慣れたし、全然気にしないんだけど、ちょっと思ったことがあるの。


救急車がサイレン鳴らして夜間救急に運ばれてるってことは、ある程度重傷なのかなぁって思うの。


そんな重症患者が乗ってる救急車のサイレンの音を聞きながら、私は勉強したりぼーっとしたり夜食食べたり、はたまた寝てたりするわけじゃん?


もしかしたら救急で運ばれて死んだ人もいるかもしれない。


近くでどこかの誰かが死んでるんだよ。


それでも私はなんにも感じずにただただ自分のペースで生活を続けている。


当たり前のことなんだけど、なんか不思議に感じちゃった。


ちなみに、東北の大地震が起きて、その映像がTVに映し出された当時、私は何故か胸が締め付けられて、悲しくて悲しくて泣いてた。


東北には知り合いもいないのに、なんでかすごく悲しかった。


今でもなんで悲しかったのか、なんであんなに泣いたのか不思議。


なのに救急車のサイレン音を聞いても特別悲しい気持ちにはならない。


まぁ、サイレンの音が聞こえるたびに泣いてたらキリないんだけどさ。



実は私、子宮頸がんの疑いありなんですよね。


お姉ちゃんが検査でひっかかったのをきっかけに私も軽い気持ちで検査しに行ったら陽性反応出たらしく、再検査させられた。


それが昨日。


検査結果は1週間後に聞けるらしいんだけど、正直行くのめんどくさい(^^;)


平日は学校で忙しいし、土曜日は病院が午前中しかやってないのに私的には寝てたいし。


でもさ、女の人は検診するべきだよ。




なんて唐突に思ったんです。


オリゼーがかわいくて、アニメ放送中は萌え死んでたんですよ(笑)


やっと今週1週間終わって、少しの開放感に浸りながら、憲法片手にブログ更新です。


10月に入ったのに特に涼しいと感じないのは私だけ?


確かに普通にしてたら暑いってことはないんだけど、10月の気温ってこんなもんだったっけ?って感じ。


とりあえず軽く動いたり、ご飯食べたりしたら汗かく^^;


ここ最近青汁を飲んでるんだけど、これいいよ!!


なんか1日目にして便秘解消された^^


日頃野菜不足だし、基本的に身体弱い方だから、健康のために続けようと思う。


最近の青汁ってまずくないんだよね。


小学生の時に飲まされた青汁はすぐ吐き出すほどまずかったのに、今飲んでるのは普通に飲める。


むしろ普通の緑茶?抹茶??って感じ。


色々と世界は進化しているんだね。



人の感情、特にマイナスの感情って複雑だよね。


だって、自分がこう感じているっていう原因とか感じる過程についてだって明白じゃないんだもん。


私がよく思うのは、例えば、私の寂しいっていう感情は果たして本当の意味での「寂しい」なのか。


うまく文章化できないけど、寂しいって思う原因についてAという心当たりがあるとしよう。


でも、そのAに原因を求めるのは私がなにかそこに求めたいという気持ちがあるからなんじゃないかって思うの。


Aが原因であるって言ったほうが自分の感情に言い訳ができるし、逃げることも可能だし、他人に感情を伝えるのが楽だからとかの理由で、無意識にその感情に“合う”原因をあてがっているだけなんじゃないかって。


もちろん、もしかしたら本当にAに原因があるのかもしれない。


でも、これが原因だって言ってること自体言い訳な気がするの。


感情ってのはそんなに明快なものだとは思わないし、そこに原因だのなんだのって存在するとは言い切れないと思う。


だから私は「トラウマ」って言葉があまり好きではないし、自分の感情を伝える時に自分の生い立ちとかを原因にもってくるのが好きではない。


でも、他人に伝えなきゃならないときには最も考えられる「原因」を理由にして伝える。


思うんだけど、自分のマイナスの感情を他人に伝えるのって甘えだよね。


なんの生産性もないのに、「分かってほしい」「共感してほしい」「押しつぶされそうなのを助けてほしい」ってだけで何かそれらしい「原因」をつけて表現するんだもん。


私は昔から自分の感情とかについて追求していく習慣があったから、子供の時から色々心理学の専門書とか読み漁ったり、一人で黙々と思考したりしてたけど、最近になってこういう風に思い始めたの。


もしかしたら、私のこの考えは無駄なのかもしれない。


だって、たぶん答えの出ないことだもん。


でも、何かに「原因」をおいて感傷したり同情を誘ったりするのは甘えだと思う。


その「原因」が過去のことや改善することのできないことならなおさら。


だって、それが自分にとって「普通」だったんだから。


「普通」の中にいてトラウマってなんなのって思う。


「普通」を「普通じゃない」って気づいたってことは、状況が良くなったからなんだよ。


状況が良くなって価値観が変わった途端に「普通」だったことに自分のマイナス感情の原因を求めるのはあてつけなんじゃないかな。


もちろん、虐待とか次元がまるで異なることは範囲外に話してるよ。


ここに書いてあることは完全に私の感情と生い立ち、思考に基づいて、私用に考えたことだから。


うまくまとまらないけど、今日はそんなことを改めて考えたんだよね。