【生活】あれから19年 | HOBOのブログ

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今日は毎年のことですが阪神淡路大震災発生から19年目の

話題です。

阪神淡路大震災から2か月後の1995年3月神戸中華同文学校の

講堂で、中華系犠牲者の追悼式があり私が総合司会をしました。

当日は兵庫県知事貝原俊民氏(当時)や当時の中国大使らご本人

出席の元行われました。そして私は犠牲者全員のお名前を読み

上げたのを覚えています。

そして犠牲者の皆さんの名前を記した石碑が神戸の神阪中華義荘

にあります。

震災犠牲者

当時、中華同文学校は本来正式な避難場所ではなかったのですが、

近所から多くの被災者が集まり避難していたので県や市に掛け合っ

て避難書として認められ暫くの間、多い時で200名近くの方が避難

していました。多分神戸を象徴する多国籍な避難民のいる避難場所

だったと思います。

当時震災までは「共生社会」というのが社会的な大きなテーマで、

震災の時に「共死」という言葉が生まれました。どちらにしても

一つの社会で色んな人が一緒に暮らすというテーマだったはずです。

震災から19年経ちますがこの部分は大きく後退しているように思い

ます。なんとか色んな人が一緒に楽しく暮らせる社会をみんなで

目指さなくてはかなりテンポが速くにギスギスとした方向に向かって

いると感じているのは私の杞憂であって欲しいのですが・・・・

今日の1曲は毎年絶対この曲です。

ソウル・フラワー・ユニオンで「満月の夕」です。