9年前、夏休みも終わろうとしている暑い日に、軽い気持ちで受けさせた一本の予防接種。
娘の人生を大きく変えさせることになったHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)だ。
その日を境に娘の生活は一変した。地獄のようだった最初の4年、薄皮を剥ぐように、ほんの少しずつゆっくりと症状が軽減してきたここ5年。
いまだ症状はゼロにはなっていないものの、この春からはフルタイムで働けるまでになった。
しかし、25年しか生きていない人生の中での9年間である。失ったものは数えきれない。
コロナ禍で失われた1年を嘆く子供たちの声が取り上げられるたびに、こんな思いを何年も、しかも孤独に耐えてきたのだ、と切なく思い出す。
若くして病を得た人は皆、同様の思いをしているのだろうけれど、ワクチン被害の場合は、健康であったがゆえに接種させたわけであり、その悔しさ、切なさはひとしおである。
少しの用心深さがあれば防げたのだ。しょうがなかったなどとは、とても思えない。
一生悔やむこととなった。

今春以来、あらゆるマスコミが声高に「一日も早くコロナワクチンを!」と言い続けている。
2011年震災後の落ち着かない気持ちのまま、子宮頸がんワクチンの宣伝を見続けて、容易に洗脳されてしまっていたことが、思い出させられる。
治験も満足に行われていない新しいワクチンを打つことへの不安も、何年も続く副作用が起こるかもしれない危険性も、決して語られることはない。
マスコミに踊らされて、慌てて接種する前に、落ち着いてよく考えて、と言いたい。
自分の身体を人体実験に差し出す必要が本当にあるのか、ということを。