イーハトーブとは、宮沢賢治による造語で、岩手県をモチーフにして創作した『理想郷』を指す言葉です![]()
諸説あるそうですが…岩手の旧かな表記であるイハテをもじったと考えられており、エスペラント語風に美しく表現したもの![]()
※エスペラント語とは…ポーランドの眼科医 ザメンホフ が19世紀末に考案した国際共通語。
ロシア領ポーランドの多民族社会で育ったザメンホフ(ペンネームがエスペラント)が、民族間の対立をなくし相互理解を深めるために考案
宮沢賢治の深遠な思想や世界観、気高い祈りや願いを知るために、歴史的背景、生い立ちを見てみましょう![]()
明治時代
宮沢賢治は…
⚪︎1896年(明治29年)誕生🐣
⚪︎父は、信仰深い人であり『花巻仏教会』をつくった。浄土真宗。
⚪︎1909年 賢治13歳の時、父への反発心…寄宿舎の舎監に面会挨拶した時の父が、おもむろに銀時計を出し 資産家風態度だった事に反発心を抱く
また、家業の質屋に罪悪感を抱いていたそうです。
父への反発心、資産家への反発心、…青森県出身の太宰治と共通していますね![]()
大正時代
⚪︎1914年 18歳 法華経に開眼
⚪︎1917年 21歳 同人誌『アザリア』で短歌と短編を発表
⚪︎1918年 22歳 県内地質、土性調査活動
⚪︎1918年 22歳 肋膜の診断、童話創作開始
⚪︎1921年 25歳 法華経信仰へ帰依を父に迫るが認められず家出上京。童話創作に没頭。妹(トシ)の病の知らせを受け、花巻に帰り農学校教師になる。
⚪︎1922年 26歳 音楽熱高まる
⚪︎1924年 28歳 旺盛な執筆活動
⚪︎1925年 29歳 同人誌『銅饠』に参加
⚪︎1926年 30歳 自ら農民の中に入っていく道を選び、農学校教師を依願退職。
昭和時代
⚪︎1927年 31歳 肥料設計、無料稲作相談、花壇設計
⚪︎1928年 32歳 稲作指導に奔走、病臥
⚪︎1931年 35歳 東北砕石工場技師となる、石炭販売のため上京し倒れる。
⚪︎1932年 36歳 文語詩推敲、死の前日、肥料相談に対応。
⚪︎1933年 37歳 午前11:30突然お経を唱える。「『国訳妙法蓮華経』を1千部印刷して知己友人に配ってほしい」と父に遺言し、永眠
強く反発していた父への遺言は、父の心を強く揺さぶるものだったと思います。
父子で激しく宗教論争を交え一歩も譲らなかった父政次郎が、宮沢賢治の死後18年も経った1951年に日蓮宗へ改宗したそうです![]()
子供を憶う親の心は計り知れないほど高く深い。賢治との間の親子の絆を何より大切にしたからだと思います![]()
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