札幌に戻って気付けばすでに三ヶ月。

その間いろいろと思うことや気付きがあり、そんなことをまとめて書こうと思ってもなかなかできていない。

実のところこのブログ以外に自分で運営しているメディアや動画の投稿についてもそろそろ再開したいところだが、それもままならない。なんせ北海道なんてよく知らないし、人脈も何も無い。本当に地元と疎遠だったということを痛感する日々である。

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さて、それで本日は軽いネタで。

私が住んでいるのは実家まで歩いて25分、バスで5分ほどのところである。

おかげさまで両親は健在である。ただ、父は大腸ガン、母は胃ガンと大腸ガンの手術経験者である。そうは言っても父はまだ仕事をしているし(※仕事と言っても自営)、母親もボケることもなく生きている。

私自身、実家に近すぎるのもどうかと思いつつ、「比較的」行きやすい場所に住居を借りることができて住んでいるわけだが、夕飯はほとんど実家で食べている。

私の唯一の趣味は「飲酒と喫煙」で、そんな私のことを知る母親はいつも何かしらツマミっぽい料理を用意している。それはそれで有り難いが、それが「今日は来ないのかい?」というプレッシャーとなっている。

そりゃ父と二人きりでの夕飯というのは50年以上一緒にいる二人にとって退屈だwそこへふらっと近所に独身の息子(=自由)がいるならそいつを呼んで夕飯を食べる方が楽しい。

むろん、そういう思惑もあって札幌にもどったが、ただ、これが「連日」となるといささか面倒にも感じる。

正直なところ16年東京離れていた間に機会を逃したであろう「両親と過ごす時間」はこの三ヶ月ですでにお釣りが来るくらいだと思う。

だって、ほぼ毎日だもんなぁ、、、しかも時には週末も一緒だしw

これはこれで大事なことだけども、私だって自宅で料理して呑みたいし、飲み歩きもしたい。

それでもやはり「近いからいつでもいいじゃん。」ではなく行けるときは行くのが正しい。

 

今宵も実家で呑んで帰ってきたのだが、この年齢で日々両親と飯食えるってのはけっこう贅沢なだと思う。

先月は東京やら上海へ出張へ行き、まともに札幌暮らしができたのは8月入ってから。今月こそはどこにも行かないと決めていたものの来週から青森に行くのでやはりバタバタする生活に変わりは無い。

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暮らしてみて感じるのはスーパーやそこいらの八百屋でも「道産品」がすごく多いということ。肉も「道産品」が多い。

これは東京に住んでいたときに感じなかった。そもそも東京なんぞは全国から食料が集まるし、肉はさておき「魚の旬」なんて感じることができないほど通年揃っている。

極端な話が一年の半分くらいは「カツオが旬です!」と謳っているスーパーや飲み屋があると思う。ただ、カツオに関して言えば初カツオなのか戻りカツオなのか誰も説明していないので、「旬」という概念が希薄な印象を受ける。せめて飲み屋ではその違いを説明してくれてもいいようなもんだが、知ってか知らずか説明が無い。

これが行く先々の飲み屋でバカの一つ覚えてカツオを「お勧め」してくるから質が悪い。

こういう時は店との付き合いもあるからスルーするが、「おまえ(店主、もしくは料理長)もその程度か、、、」と心の中で呟くしかない。

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話が逸れた。

ただ、「道産品」と言っても年中作物が獲れる訳では無いし、魚だって時期によって違うのだからやはり「旬」がある。母親なんぞはそのあたりにとても敏感な人なので「今の時期は○○へ行けば、××が買える。」と普段から言っている。すなわち旬のものはどこに行けば買えるか知っている。

しかし、売られていても母親が見向きもしないものは「旬では無い」と言える。

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本来、四季を満喫できるのが「縦に長い日本」の良さで、東京に住んでいると縦の中心であるが故に「旬」を忘れるが、こうして改めて住んでみると「旬」とか「地産地消」って四十路越えた身には良い意味で感慨深く感じる。

 

札幌観光に来る際は、ただ店の人が勧めるがままに飲み食いせず、「旬」とかその時期に獲れる「道産品」について調べてから来ることをお勧めする。

「いくら丼」なんぞは東京で食った方が安いからwww

 

ひとまず。

 

(※最初の写真について)

これは「Mobike」という中国のベンチャー企業が展開するレンタルサイクルです。上海などの都会だけでしか運用されてませんが、若い子たちはかなり使ってます。私も行った際に「これ使えるとスゲー便利だよなぁ」と思いました。ただ、手続きやらデポジット必要だったり旅行者にはいささかハードルが高い。

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ちなみに中国のイメージって皆さんいろいろお持ちかと思いますが、上海、およびその近接都市に関して言うなら東京かそれ以上に発展してますから。

あれやこれや書く前に、アメブロの練習もかねて小ネタを一つ書いてみる。

 

そもそも東京にいると「地方」という表現が頻繁に出てくる。

これについてはいろいろと見方があるが、ほぼほぼ地方出身者の集まりであるにも関わらず日本の政治経済含めもろもろの中心は「東京」なので「東京=中心」、「東京以外=地方」ということになる。恐らく一般的には誰も疑問に思わないと思う。

 

このロジックは不特定の東京以外の地域を漠然と指す言葉としても便利である。会話の中で「地方」と言えば暗黙知で「東京以外」と通じる。

 

しかしながら、確かに前述したロジックで良いと思うのだけど、偏屈な私は違和感を覚えた。

 

一人一人にとっては自分が中心で日常生活において「東京=中心」ではない。

あくまで中心は自分であって、自分の住む町であって「東京」ではない。

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実のところなぜこんなことを感じたかというと帰省するたびに旧友らと呑みに行っていたが、東京の話題なんて出てこず、自分たちの仕事や日常、それらを含めた近況で場が成立している(東京の話題と言えばせいぜい土地や賃料が高いとかその程度)。

また、テレビ番組もいわゆるゴールデンタイムに札幌ドームの日本ハムファイターズの試合が放送されていたり、デーゲームにも関わらず録画が放送されていたりする。

テレビCMは東京では見たことの無い商品をタカトシや大泉洋が宣伝している。夕方になればテレビはいわゆる「ローカルタレント」だらけだ。

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そうは言いつつも東京がどうでも良い、ということでもなく、好むと好まざるに関わらず東京の情報は入ってくるのでそれなりに関心はある。最近では築地移転問題や東京オリンピックあたりのようだが、それにしても芸能人のスキャンダルと同じ。言ってしまえばアホらしいくらいの感じで傍観している程度(※この2問題について、こんなことに住民税使われると思うと嫌気がさした)。

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これからも「地方」という表現はなくならないし、私自身も便利なので使ってしまうし、誰もこんなことに気をかけないと思う。

 

ただ、「東京=中心」というのが「当たり前」な風潮については一石投じておきたい、と思った。

 

ひとまず。