僕は曖昧が嫌なところがある。

世の中のことはよくわからない、でも答えが欲しい、わかりたい、はっきりとさせたい気持ちが強くなることがある。


そんな時は苦しい。


どうしてそんなに見通しよくしたいのか

不安だからかな、曖昧と言うように、はっきりとしないのが嫌だからかな、でもはっきりさせようとすればするほど心はなんだか疲れてくる。


僕はA4の紙にモヤモヤしたら気持ちを吐き出すために書き殴る習慣がある。書いてみるとバァーっと見えてくる。よく頭の中じゃなくて見える化しなさいって聞くけど確かに頭でグルグルさせているよりも下手でもなんでも何書いても構わないからとりあえず書き殴ってみるとまぁ、気持ちが見えてくる。


それから感情を手放す「セドナメソッド」ってゆう手法があって、これは僕が受けている電話カウンセリングの先生が教えてくれたことで(Youtube)この感情の手放しをやってみると少し気が楽になる、緩む感じがする。


それでも、まだどうにか答えが知りたい自分がいる。

そんな時は…もう諦めるしかないんだよな。

どんなに考えても外に書き出しても手放してもわからないことはもう諦めるしかない。


少し不快な感じやモヤモヤが漂うけども、しばらくはそんなモヤモヤ、曖昧さと共に過ごしていった方がいい。



そんなに先を見通したいのは、やっぱ不安だからだよな知りたいからだよな、うまくやりたいからだよなぁ。

でもなぁ、うまくやろうとすると力むからなぁ、世の中のことはよくわからない、自分自身の悩みも解決できるものばかりでもない、ある程度はやっぱりモヤモヤ、曖昧さを抱えながら生きていくしかない。


まぁ、うまく生きたいという気持ちは他の誰かの中にもある?のかなぁって。


でも、あえて自分に向けて言うなら


「そんなにうまく生きれなくていいんだよ、完璧じゃなくていいんだよ、完璧を求めすぎないでいい、もう少し力を抜いていいんだよ」って



今日はここらへんで終わります。

ものすごぉぉ〜〜〜〜〜く久しぶりにブログを書きました。書くことは好きだからブログまた書きたいってずっと思ってた、でもどう書いたらいいのか…とか書くことに対してちょっとルールというかそういったものを持ってきて身動き取れずにいました。でも、今日なんとなく、とりあえず書いてみたらサクサクっと書けました。


そうだね、やっぱり完璧よりもとりあえずはぼやけたまんまでも書き出してみることが大事なんだなぁと改めて気がついた。