わたしは基本実体験に基づき自分の正直な意見を整理し自分に問いかけ答えを求める。

わたしは地元の工業高校を卒業し田舎町にオープンした大型商業施設内の専門店で衣料品販売員としてキャリアをスタートさせた。

トップまでの距離は非常に近く、そのころから「こうすればいいのに」とか「仕入れ先の言うことばかり聞かずにお客の求めるものを仕入れればいいのに」と様々な場面で改善を求めた。給料は高くなかったので高級を求めてトラックの運転手になった。そのころ高給といえば佐川といわれていたので佐川急便に面接に行った。当時やせ形でピアスをしている外観の私は受け入れて貰えなかった。そこで別の運送業者に面接に行き採用された。2tトラックでの集配業務だ朝5:30から家を出て帰るのは22:00を超えるのもしばしばだった。時間に追われる毎日に嫌気しまもなく同じ運送業でも中距離輸送の4tトラックの運転手を募集する会社に転職した。ここでは経営者と我々新人運転手の接点は少なくあまりこうしようああしたいという改善を求めなかったことを覚えている。勤務中の事故が原因で免許の停止を受けた地元徳島で免許がないと通勤も難しいので大阪で水道工事の仕事をしている父親に相談した。相談の結果大阪行きが決まった。当時確か21歳だった。そこで水道工事を学んだ。ここでは改善癖が大きく膨らんだ。しかし若さからか本分なのか華やかな世界に惹かれ水商売の世界に入った。当時はまだバブルの名残りがありやれ興銀だ、大手商社だと豪快に遊ぶ背広族が目立っていた。ここでも暫くすると改善癖が膨らみ始める。ウエイターで入店したわたしはいつの間にか店長になっていた。いつの間にかではない。手帳に自分が店長になれるにはという題目でむりから理由付けを書き記した。何故ならこのころある出会いときっかけにより自己啓発の本を読むようになったからだ。夢は実現できる。思考は具現化するという考えを学び頭に刷り込んだからだ。それから暫くしてお店を離れることになったわたしは再び父親に連絡を取り水道工事の世界に戻った。その頃は既に夢をかなえるのは信念だとかかなわない夢はないというような考えだったので独立するのにそう時間はかからなかった。独立してからも売り上げは順調に伸び当時1千万円程度の年商も数年で1憶を超えるようになっていた。目標を掲げ達成するということは当たり前のように繰り返されベンツを買ったり閑静な住宅街にマンションを買うなど生活も落ち着きかけていた。わたしの思考回路は目的は何?今の目標は?そのために足りないものは?じゃあ今何する?という発想だったしそれが正解だと思っていた。

ところが障害を持ち、自身初めてといっていいほどの大きな組織の会社に就職した。その時わたしは今までだっていろいろやってきたんだ。うまくやれるさと高を括っていた。しかし後で気づくが組織の中での仕事の進め方と自分の夢を叶えるための仕事のやり方ではそのやり方が大きく違うのではないか?ということだ。実はこの答えはまだ自分で整理もできていないし答えも出ていない。何故なら一社で答えを出すには経験が足りなさ過ぎるのだ。この件については大手新聞社に勤める弟に何度か回答を求めたが非常に近いところまで手が届きそうになるがまだ答えには達していない。

 そしてこのうまくいかない就労活動の元凶が私の経験値の問題なのか思考回路の問題なのかはたまた身体に小さくない障害を持ち思うように動けないからなのかそれが解らない。でもあまりにも不合理を感じたり居心地の悪さを感じるわたしはそこの原因を探ることには執着せず、今までのように自分で事業を起こす事に注力することにした。もし私がもう少し若ければ組織での成長を求め改善策を考えたかもしれないがわたしはそれを選ばない。と決めた。

 今後多くのチャレンジドを企業に送り込むことになるだろう。その時企業側、チャレンジド側双方の思いを目的を感じることを多面的にくみ取りチャレンジドが活躍し企業、チャレンジドが互いに目的を達成できるよう支援できる人間でありたいと強く思う。