本当はこういう記事を書くのはもう少し経ってからの方がいいのかもしれない。
でも記憶が曖昧になる前に書き記しておきたいと思ったから書く。

2017.9.19の18時53分に父が生命を引き取った。
正確には17時25分くらいなのだが、仕事で看取れなかった妹の為に訪問医の先生が帰ってくるその時間まで診断を下すのを待っていてくれたので。

当日、私も仕事だったのだけど
母に休めるなら休んでほしいと言われ家にいることにしました。
午前中に訪問介護の方が、お昼過ぎに訪問医の先生達がいらしたのだけど、双方ともに旅立ちは今日か明日には…とのお話でした。
訪問医の先生は「また明日会いに来るからねっ」って父に声をかけて帰られました。

17時10分頃、部屋にいると母から呼吸が変だからそろそろ危ないって呼ばれて父の元へ行くと、とても苦しそうな呼吸をしていた。
ベッドサイドには母親がいたので足元に行って足を擦りながら「〇〇(妹)があと1時間くらいで帰ってくるから頑張ってっ」とか声をかけた。
取り敢えず妹に状況を伝えないとってLINEで送った瞬間に父の呼吸が止まった😢
元々不整脈もあってたまに一瞬無呼吸になることもあるから、それかもと淡い期待をするも叶わず息を引き取りました。

自分では相応の覚悟を決めていたと思っていたから、泣かずに見送れると思ったのにダメだったよー笑
ギリギリまで我慢して父にありがとうお疲れ様って声を掛けて部屋に逃げ込んで泣いた←
でも30秒くらいかな、切り替えて部屋を出ました。

それから連絡して
介護の人や訪問医の先生方々が来られ
妹が帰ってくるまで父の話をしたりして過ごした。
訪問医の先生は父に「また明日来るからねって言ったじゃん」って…

妹が帰ってきて、気落ちする妹に先生が「まだ聞こえると思って声をかけてあげて」「まだ死亡診断してないから大丈夫だから」って
優しいなぁ…😢😢

その後は身体を清めるのを手伝ったり
葬儀会社の方がドライアイスなどを持ってきてくれたりバタバタして過ごしてたけど
さすがに夜は寝れなかったねぇ(苦笑)
なんだろう悲しいのとは違う、虚無感がやばかった(>_<)
一晩たって今日はまた改めて葬儀屋さんと打ち合わせとか遺体を霊場に運ぶの手伝ったりとバタバタしてたけどまぁ何とか元気にやってます笑

実は9月7日(木)くらいに意識がなくなってもう話すことも出来なくて寝たきりみたいになって、その時も土日(9日10日)長くても来週中には旅立たれるかと知れませんって言われてたから父の兄弟達に最後あわせてあげようと、金曜日と土曜日に分けて来てくれたのかな?
金曜日の方々はなんと日中、私達が声掛けても朦朧として何か返しているのだけど聞き取れずって状態だったのに会話する底力を見せてくれた。
翌土曜日組の方々は、日中来てくれたんだけどあまり話せず……
でも夕方から調子が上がってきて
母が夜買い物にでかけてる間に、私がリビングで父の様子を見守りながらスマホからDAZNでマリノスの試合を見ていると
なんと自分も見たいと!!?!?
パソコンでDAZN見れるように設置してあげたら、ちゃんと見てた。
その日から驚異の復活を見せてくれて、その週の半ばまで冷たい飲み物が飲みたいとリクエストまでしてくるようになって先生もこれは復活するねって言ってびっくりしてた。
金曜日くらいから調子が徐々に落ちていって、あまり会話もすることが出来なくなったけれど
土曜日もほぼ朦朧としてる中で、マリノスの試合中継見る?って言うとイエスの意思表示してくれたから今度はテレビでマリノスの試合を流してあげた。
自分はちゃんと見たくて自室に戻ったんだけど母によるとちゃんと見てたそうです。
これが自分と父の最後のちゃんとした接触になったのかな…

マリノスvsフロンターレ
マリノスvsレイソル
死が目前まで迫ってるのにマリノスの試合が見たいなんてアンタ本物のマリサポやで😢
父が最後に見たレイソル戦…今シーズンノーゴールだった学に初ゴールが生まれるも終了目前に追いつかれ引き分けた…
この試合は色々な意味で勝ちたかった…悔しい。  

最終的には本人が希望していた自宅で最期を迎える事が出来て良かったね。
ずっと父に付き添ってお世話をしていた母や、介護の方々、先生には感謝しかないです。
ありがとうございました。

父も今頃は痛みや苦しみから解放されている事を願います。
15年間の戦い本当に辛かったと思います
お疲れ様でした、そして今まで頑張ってくれてありがとう。
私は幸せでした♪
またいつかそちらへ行ったら会おうね。
ゆっくり休んでください。

長々書いてしまいましたが
個人的な記録として記事にさせていただきました。
ありがとうございました。