誰もが、忘れられない存在、っていると思う。

それは別に恋をした相手じゃなくても、例えば、小学校の頃すごく好きだった友達とか。

好きすぎて、恋人でもないのに独り占めしたくなった友達とか。

わたしはそういう風に、独占欲を伴う好意を抱いた相手がいつもいて、そのせいで悩んだり苦しんだりしてきた。

誰もがそうなのかなと思って、でももしかしたら特殊な感情なのかもしれないとも思ったから、ここにわたしの経験を少し書いておきたい。

 

わたしはもう幼稚園の頃から、すごくわがままな子供で、思えば生まれつきすごく独占欲の強い性格だったのかもしれない。

大好きになった友達が、自分以外の誰かと仲よくしてるとすごくモヤモヤして、「わたしのことが一番好きなわけじゃないのかな」なんて、すぐ思い悩むような子どもだった。

相手から好意を受け取れるとすごく嬉しくて、そのくせに自分から好意を表現するのはものすごく苦手だったから、いつも向こうから話しかけてくれるのを待ってた。

今思えば「おかしい」って分かるけど、その頃は何をするにも受け身で、相手からの分かりやすい好意が受けとれないとすぐ落ち込んで、泣き出してしまうような、本当に弱くて面倒くさい子どもだった。

自分から与えないくせに、相手から与えられるのを待ってばかりいるのは間違ってるということに気付けたのは高校生になってからで。

そうやって人として当たり前のことに気付くのが遅かったから、人より随分脆くて臆病な心に育ってしまったんだと思う。

好意的な反応を期待するから、すぐ人の顔色を窺うし、必要以上に気を遣って、気を遣い過ぎて喋れなくなる。

だからこの歳になっても、未だに自分からの発信が難しい。

人と会話するのは大好きだけど、伝えたいことを聞いてもらうために発信するのが苦手。

気付きがあってから自分なりに努力して、話せるようになったかな、と思ってたんだけど、ふとした時に「やっぱり苦手かも」って思ってしまう。

 

人を好きになるってすごく素敵なことだと思うけど、わたしの場合、好きになり過ぎて苦しくなるっていうのがすごく多かった気がする。

たぶん、大好きだから嫌われたくないし誰にも取られたくない、わたしのことを一番好きでいてほしい。そういうわがままな気持ちが大きすぎて失敗しちゃうこともたくさんあった。

思えば人間関係ですごく悩んで生きてきたんだなあ…と。

 

でも、今までわたしが置かれてきた環境は、すごく人に恵まれてて、耐えがたいほどの悪意に晒されたことがないっていうのは本当に有難いことだったと思い返している。

人が好きで、だけど関係を築くのが下手くそで、そんな自分が嫌になることもあったけど、なんだかんだ生きてるし、素敵な人たちと楽しい時間を過ごせてきたし、いい友達にも恵まれてる。

最近はちゃんと自分のことが好きって思えるようになったから、昔の自分に教えてあげたい。

「そんなに無理に好かれようとしなくても、好きになって仲よくしてくれる人は絶対周りにいてくれるものだよ」って。

せっかく人を好きになる心を持ってるんだから、自分のことも好きになってあげないと損しちゃうよね。

最近知り合った人とそんな話になって、ふと考えたことを書き留めてみました。

あまりにも辛い時、わたしはけっこう、こんな風に思うと元気が出ます、「こんなに大好きになれる人や物に囲まれてるわたしってなんて幸せなんだろう!」って。

自分の人生が嫌になりそうなときは問いかけてみるといいかも。「好きな人、好きなものはどれくらいある?」って。書き出してみるとけっこうたくさん出てくると思う。それだけの「好き」に囲まれてるんだって思えたら、ちょっとハッピーな気持ちになりませんか?