
チョイスピの日々の気付きをアロマやセラピーからめながら書いています

こんばんは
私のおじいちゃん一平さんと阿闍梨様のお話しを上げています
さて
今回は阿闍梨様が何故
阿闍梨様になったのか
そして
一平さんと出会った頃
全く庶民的になったのはなぜか
お若い頃の阿闍梨様は
日々人々に心を砕き
皆を幸せにするにはどうすれば良いか
悩み答えを追い続けていたそうです
一平さんいわく、
仏様の意を汲み
皆を幸せにする道具に成りたかったそうです
その為
あらゆる修行を行い
学び、実行し
御仏の思うところに近づきたいと
全力で進んでいたのでしょう
阿闍梨と言われるようになり
その時
私の見る方向は御仏では無く
そこに生きている人々であると
感じたようです
しかしそれは
学び御仏を追いかけたからこその気付きであると私は思います
私解釈ですが
若い頃それは必要な学びと体験で有り
それを乗り越えて初めて
人々に魂も視線も全力で向いたんだろうなと解るような気がします
今有ること、対面してる学びこそ
次の答えの導きなのだと
私の拡大解釈で想像の幅も広いですが
一平さんいわく
面倒事はやるべき時にやって来て
何とかすりゃあ
身になるもんだよ
何とかならない事は無い
ピンチはチャンス
さあ実力をつけましょう
又次のお話しをお楽しみに
こんにちは
私のおじいちゃん一平さんが若い頃出会った阿闍梨様とのお話しです
今回は母の話
私が産まれるずっと前に
一平さんは亡くなったので
私は
母から一平さんのお話しを聞いていました
でもそれはためになるお話しをしようとかおじちゃんはこんな良いことを言っていたよ
とかでは無く
おじちゃんの思い出話の時に
おかしな話として
あんたのおじちゃんは坊主かぶれのおかしな人だったよ~
という感じの
ちょっと変人扱いでした
ここで
ちょっと母という人のお話しですが
5人兄妹の3番め
良くも悪くも真ん中でした
下の子の面倒をみながら
上の兄姉を羨む
とても現実的で
楽しく遊んでいても
遅くなる前に帰らなきゃって
独りで気付いてしまうタイプです
母にとって
坊主でも無いのに説法ばっかり説いて
てんで頼りにならない父親は
全く変な人だったようです
ある日
母が一平さんの思い出話のとき
「私がおばちゃんのおしめ洗いながら泣いてたら
たかちゃん(母の名前)地獄極楽は生きている内に有るんだぜ
死んだ時点で決まっちまう
生きてる内なら道は変わる
次は良い道に当たるよって言ってたけど
だったら手伝って欲しかったわよ」
母は文句のように言っていました
私はその頃学生生活上手くいかなくて
生きている内なら道は変わるんだと少し救われた気がしました
会った事もない私のおじちゃんは確実に学生の私に寄り添い、救ったのです
時間を超えておじちゃんと繋がった気がします
それから
ずっと後
スピリチュアルなど学ぶ内
今に気付き意識を変えたその瞬間から人生は変わるんだ
と
一平さんの言葉の意味を深く
知ることが出来るような気がしました
今という点の繋がりが未来を作る
さあ、どちらに行こうか
一平さんの意図は今となっては解らないけど
私は私の解釈で勝手に救われています
又次のお話しをお楽しみに