タンッタンッタンッタンッ…。
苔の生えたコンクリート壁に挟まれた小道。履き慣れたローファーの音がリズム良く響く。今日も前を歩く禿げ頭が後ろを振り返った。
「すいませんっ。」
禿げ頭がほんの少しだけ左に寄る。速度を変えずに追い越した。
ブレザーのポケットで激しく揺れるハリネズミを引っ張り、携帯を取り出す。メールは無し。着信も無し。時間は7時08分。
(やばいなぁ…。)
携帯をポケットに戻し、更に加速。
タンッタンッタンッタンッ…。
左側のコンクリート壁が途切れ、金網へと変わった。ホームに設置されたばかりの真新しい電光掲示板に目を凝らす。
(7時11分。)
遅延などはしていないらしい。時刻の下には緑色のテロップが流れていた。遅延情報は赤だ。
「おはよう。」
「おはようございまーす。」
駐輪場のおじさんと金網越しに挨拶を交わし、踏切へと更に足を早めた。地元の私立高校へ向かう集団の合間を縫って走る。一人と肩がぶつかった。
(広がって歩いてるからだよ。邪魔くせぇ。)
幼稚園からエレベーター式になっている女学校の生徒だ。幼稚園への入園時には試験があると聞いたが幼児が行う試験など高が知れている。どうせ箱入り娘の馬鹿ばかりなのだろう。 頭が良いわけでもないのに大人には高評価を受ける。私の大嫌いなパターンだった。自分が頑張っているのが無駄に思えてくる。
そんなことを考えているうちに踏切へ着いた。やっと足を休めることが出来た。ゆっくりと歩く。息が上がっている。
(間に合ったぁ…。)
その瞬間、不快的な警告音が鳴り出す。
カァンカァンカァンカァン。光る矢印は左を指している。
(まじかよ…。)
再び全力で走り出す。手を後ろへ回し、リュックのポケットから定期を取り出した。人混みを強引に抜け改札に定期を押し当てる。ピッピッピッという音を後ろに聞きながら階段を駆け上がる。改札が定期を読み取ってくれたか微妙だった。どのピッが私の音か判断するのは無理だった。人が多すぎる。
電車がホームへ入って来た。私はまだ階段を駆け上っている。シューと電車が止まりきった音が聞こえた。歩道橋を渡り、下り階段へと曲がる。降車してきた白い集団が階段を上がり始めているのが見えた。またあの女学校の生徒だ。ダサいセーラー服は上品な印象を受けるが中身が全くなっていない奴等。
階段の端を前の中年サラリーマンに倣って下りていく。
「2番線、ドアが閉まります。ご注意下さい。」
優しげな、しかしそれでいて機械的な男の声が流れる。ホームへ下りた。最後尾へ向かって走る。人混みを過ぎ、車掌の姿を確認した。まだホームでボタンを押している。二年間、毎日見る光景だが未だに何のボタンかは分からない。しかしあのボタンを押している間はドアが閉まることがないのは確かだった。
最後尾の車両へ走る。ローファーの音が響いている。車掌が動いた。車掌室へ乗り込む。それを目の前で見た。
(間に合った。)
プシューと空気の音を漏らしながらドアが閉まった。私を中に収めて。鼻先2センチにもう一人の私が映る。みっともない、疲れきった顔をしている。
静かに深呼吸をして息を落ち着かせようとするが、軽く喘息気味で上手く息を吸えない。ブレザーのポケットから鏡を取り出し、髪を整える。目、鼻、口を順に確認していく。家を出る前に洗顔はしたのだが心配なのだ。どうにか息を静める。
二分後、隣の駅へ電車が滑り込んだ。右ドアが開く。口角をほんの少し上げる。もう息は完全に整った。数人が電車を降り、それを三人程上回る人数が乗り込む。見つけた。目が合う。
「おはよっ。」
「おはよう。」
大好きな手に触れる。大きくて少し日焼けた彼の手。温かさが心地好い。彼の胸に擦り寄った。彼に浸る。
午前7時14分発品川行き。彼と私の貴重な時間。
今日もまた、新たな一日が始まる。