先週行われた集中審査は、事前の予想通りの結果に終わり、新しいことは何も出て来なかったと思う向きも多いと思うが、安倍政権の疑惑解明というところではない部分で、この国の根幹が危機的だということは十分分かったのではないかと思う。

行政に携わる官僚の高いレベルの面々が、記憶にないし記録もないということをしゃあしゃあと答弁する様子を見ていて、いやしくもこの国の重大な政策決定に携わる優秀であるはずの彼らが、事実なのか、行政府の長たる総理を守るためなのか分からないが、民間人と同様にマジックワードの「記憶にございません」を連発したことの方が危機的だと感じた。

貧弱な記憶力で、記録を残すこともなかったのが事実ならば、ハイレベルな政策立案などを行う官僚としての資質に欠けるということを自白していることになる。そういう輩が国を動かしているというのはとても危なっかしい。

首相を守るための虚偽答弁だとすれば、その動機は、本当のことを言ってしまったら、内閣府からの報復人事で出世に影響することを恐れた利己的な保身から出た発言だということになる。国のことよりも自分のことを中心に考える彼らの本性を見たということになる。政治家を神輿として担ぎ、レクチャーと称して手玉に取って、必要な政策を事実上決めているのが官僚であることは、大臣答弁のお膳立てと窮した時の露骨なフォローの様子を国会中継で見れば明らかであろう。政治家は信用ならないが、官僚機構がきっちり仕事をするのでこの国は回っていると見ることができていた点で、官僚機構に対する国民からの信頼は一定以上あったはずである。しかし、今般の審査の中で、その信頼がダメージを受けたと思う。官僚の仕事も無責任極まりないという実情が見えたからだ。政治運営に対する政治家への不信は元からあったのだが、これに加えて、優秀な仕事師だと信じられていた官僚も実は信用ならないことがこんなにあからさまになったのは初めてではなかろうか?

三権の残り一つである司法も、統治行為論などという逃げ道を作って、上級審に行くほど行政権者におもねるような殆ど追認と思しき消極的な判断を示すという傾向があり、法の番人だという矜持が感じられない。

このままでは、この国の行く末に対する不安が現実味を帯びる一方である。

しかし、我々国民は、政治不信を公言してみたり、「誰がやっても変わらない」とか「他にやれそうな人がいないから」などと評論家の真似事をしているべきではない。国政の誤りのツケを払わなければならないのは、我々自身なのだから。

結果的には、より政治不信を深める結果となったが、我々国民のたかが1票は、かつて経験したように政権交代を実現させるだけの力を持つのである。

普段からの政治家の言動を見ていて、選挙の時に、しっかりとした投票行動がとれるように、アンテナをはっていることが大切だ。