覚え書き

 

 

元々承認欲求が強いわたし

 

 

そのことと

自己肯定感の低さが

関係していた事がわかった

 

 

 

わたしは決められない癖がある

 

 

以前の

講師業のこともそう

 

 

 

先日の講師仲間の集まりで

一緒に講師しようって誘われて

その時はノリでいい気分でオッケーしたのに

なかなか日程が決められなかった

 

 

 

そのことから関係性が少し崩れてきて

責任感とか

連帯意識とかで

責められる発言をされた

 

 

 

胸がざわついた

 

 

 

なぜ?

 

 

 

まだちゃんとこう就職したわけじゃないのに

グループラインに入れられて

そのグループラインを読んでないと責められた。

 

 

 

読んでも意味わからない内容だから

次回からスルーしただけ。

 

 

 

授業内容の細かいことを

あれこれ言われても

わかるわけない

 

 

それで責める?

 

 

 

10年くらい付き合った人だけど

厳しすぎる

 

 

 

本業じゃないし

受けるのはわたしの自由だし

 

 

 

そもそも

講義日程が決められないのも

何かのお知らせだったんだよね

 

 

 

この判断は

わたしにとって楽しくないこと。

 

 

 

 

じゃなぜ

最初誘われた時に受けたのか・・・

 

 

きっと

講師業をしているという

ステイタスが欲しかったのか

世間に認められる存在でありたかったのか

 

 

 

まあそんなところだったと思う。

 

 

 

 

いつも

自分が自分のことを認めて

自己肯定感を高くしていれば

他人に認められたい人生なんて

バカらしいって思えるけど

 

 

 

自己肯定感なんて

自分を自分で褒める行為なんて

恥ずかしくて

気持ち悪くて

今までできなかった

 

 

 

時代は変わっている

 

 

 

今は

自分が自分を褒める時代

 

 

人にどうこうあれこれしてもらうのを

待つ時代じゃないから

 

 

 

そんな

ヨコシマな動機から

講師業を受けたのだから

そりゃ日程調整も

うまくいくはずないよね

 

 

 

今は

タイミングじゃなかった

 

 

 

動悸が喜びから

人生の楽しみから来ていると感じられるまで

この話は無かったことに

白紙に戻します。

 

 

 

講師にならなくても

わたしの価値は変わらない。

 

 

 

人に物を教える仕事をしなくても

わたしは価値ある人間です。

 

 

 

わたしはすごい

わたしはなんでもできる

なんでもしてきたし

頑張って人ができないことでもやってきた

 

 

 

誰もいちいち認めなくても

わたしの表情や言動や

生き方にそれは表れているから

大丈夫

わたしは存在だけで

価値ある人間となっている