11/12。
リハルのうちの子記念日でした。
3年前の11/12。
我が家に来てくれたリハル。
たまりませんでした。
まだ予防接種が終わってない時期はお庭を抱っこ散歩したり、
初めてのお正月にはダンナのお店探検したり、
お散歩解禁になってからも、なかなか怖くて家の前から進めなかったリハル。
かわいかったなぁ。
おもちゃの楽しさが分かってきてからは、投げて投げてアピールがこれまたかわいくて、
初めての雪は、固まって一歩も動けず、
まさかの大学病院での手術が決定。
ごく稀で症例がない手術だっただけに、もう戻ってこれないかもしれない可能性だってあった入院直前は、
ひたすら3人でイチャイチャした。
手術がんばれるひとー
生後半年での大手術。
すごくなやんだけど、これしかないと腹をくくった。
あけてみたらドクターも見たことのない症例で…ドクターの知識の限り、最善だと思われる方法をとり、応急処置な形で手術終了。
成功かだめかもは日が経って馴染めるかにかかっていた。
約10日入院して、入院先の東大医学部に毎日お見舞いに行った。
毎日毎日、包帯ぐるぐるのチューブだらけなリハルに、生きていてくれるだけで泣けてきた。
ちょっと動かせるようになってから、ちょっとだけで外気浴した時のリハル。
で、もう入院しててもあまり良くもならず、一時帰宅しようと、仮退院したのが私の誕生日。
もうダメかも、って何回も不安でしかたなかったし、辛かったけど、
リハルは入院で寂しくても、狭い部屋でイヤでも、ごはんが食べられなくても、
ほんと頑張ってくれた。
その時私は外に働きに出ていなかったので、
入院させててもできることはないからと、
色々チューブがつながったまま、自宅介護という形で退院となった。
そこから約4カ月の間、
毎日3時間おきにチューブからごはん、チューブから胃酸チェック。
失敗したら命に関わる。
ほんとにヒヤヒヤの毎日だった。
他にもたくさんのお世話。
週に二回の病院。
結果、担当医の懸命なケアもあり、
夏にはチューブが抜け、薬やたくさんの制限はあるけど、リハルなりの生活ができるようになり、
現在に至る。
今思えば、この経験があったから、
ぼくちんのお世話も、少しだけリハルのおかげですんなり出来たような気がする。
まさに、お姉ちゃんなんだよね、
リハルさん。
うちにきてくれてほんとありがとね。
弟がきてからはガマンばっかり増えちゃったけど、
これからもずっとよろしくね。