今日から7月。
もう折り返しです。早いわ〜。
是枝裕和監督、坂元裕二脚本の映画
「怪物」を観に行きました。
好きな二人がタッグを組んだ映画、
きっと面白いだろうと言う予想は
していましたが、心揺さぶられました。
私は、映画を見に行くときには、あまり
情報を入れないようにしていますが、
映画館で予告を見るのは好きです。
この映画は、予告で見て予想したテーマとは
違っていました。
これから見る予定の方は、ここでサヨウナラ。
この映画は特にいろいろ情報入れずに
見て欲しいなと思いましたので。
ある出来事を、それぞれの視点から描く
(大きく分けて)三部の構成になっていて、
その出来事の都度、理由を説明したり、
心情を描写するなどの説明のようなものは、
一切省かれているため、過去に巻き戻って
立場を変えて見るまでは、登場人物と同じ様に
疑問は疑問のまま。
いったいなぜ?
本当に?
これからどうなるの?
1.
子供がいじめられたのではないかと、学校に
出向くが、校長や担任など、その対応に
不信感が募るシングルマザー。
2.
赴任したばかりの担任。誠意を持って対処して
いるが、子どもらの話をもとに、とにかく
事なかれ主義の学校上層部に頭を抑えられ、
不本意な対応をさせられる。
3.
シングルマザーの息子、麦野湊。
突然、自分で髪を切ったり、靴が片方だけ
なかったり、帰りが遅かったり。様々なことが
重なったある日、母に聞かれて、「先生に
いじめられている」と告白する。
予告では、1の視点から描かれている
ところから作られていたので、実際に起きた
教師のいじめ事件(後に冤罪とされる)を元に
描き、教師と保護者やマスコミの戦いなどを
中心に展開していく話かな、と思って
いました。
1の答えが出ないまま、2の視点に移ります。
ここでようやく1での担任の不誠実な態度や
言葉が何に起因しているのかを理解できます。
そして、3。湊の視点から。
「湊が星川と言う同級生をいじめている」
担任が母親に投げつけた、その言葉の中身が
描かれます。
担任が、誤認してしまった理由(タイミング)、
湊と星川の関係性、それぞれの家庭の親子関係
嵐の日に2人が姿を消してしまった理由など、
答えあわせされて行きます。
湊の視点になってから予想外の展開に流れます
が、星川の置かれた過酷な状況、湊の、母の
言葉の重みへの自己嫌悪などに胸が締め付け
られる思いでした。
きっと、湊の母親は、湊の全てを受け入れて
くれる度量がある人間だと思う。しかし湊は
子どもゆえ、母親の言う「湊にいつか家族が
できたら」と言う言葉の重み、もしかしたら
自分は母の思うような生き方ができないかも
しれないと言う恐れに震えてしまうのだ。
一方、星川はすでに自分の生き方を持っている
人間であり、他人もそのままを受け入れられる
人間であることに湊も気づいている。だから、
そんな星川が好きなのだ。
(湊のために?母が美化しつつある)亡き父親の
裏切りを湊は知っている。母親はそれに気づい
ているかどうかは描かれていないが、子どもは
親が思うよりも、ずっとよくモノが見えて
いるのだ。
いじめ、ひとり親、ネグレクト、
虐待、LGBTQ。
現代社会のいろんな問題てんこ盛りだが、
突拍子もない話ではないのだ。まさに日常。
ラストにはいろんな解釈ができるのだと思う。
どちらにしろ、彼らがあの瞬間、幸せを
噛み締めていることだけを願う。
このときの柳楽くんの瞳、一見の価値ありです。