株ブログからどんどん離れてしまいますが…






小山田氏のオリンピック・パラリンピック

開会式コンポーザー起用問題。遅まきながら、
今日知ったわけですが、まず思ったのが、

「そもそも、今さらなぜ小山田?」

彼の音楽が近年、日本を席捲している
訳でなく、元々サブカルとジャンル分け
されるような、一部の支持層にウケる
タイプのミュージシャンだったと記憶
しています。

数々のトラブルを乗り越えて(ない?)きた

東京2020ですが、まず起用に当たって、

「身辺調査しないの?」

彼の名前を検索すると、割と早い段階で、

彼がいじめと言う名の陰惨な暴力を振るって

いた事実を知る事ができます。誰か候補に

挙げた時点で物申す人いないの?


「固辞した経緯はないの?」



若い頃にペラペラ喋った記事が周知されている

事は、本人は分かっている。仮に依頼側が

ヌルい調査で知らなかった、或いは、

「過去のことだから作品とは別」と言った

一見正論ぽい理由で依頼してきても、

障がいのある人をいじめると言う発想の人間が、

パラリンピックを彩るパーツに組み込まれることに、本人も含め誰も違和感はなかったのか。

「私は若い頃こんな事して、世間も

知ってますけど良いんですか?」って戸惑いも

なかったのか。

「自分は相応しくない」と、この時点で申し出る

のが、自分がした非道に向き合っている事だし、

そこにピンとこない本人と、組織委員会の




「鈍さ」が気持ち悪い。




「過去の過ちはいつまで経っても消えないのか」

「過ちを犯した人間はいつまでも

     断罪され続けるのか」



リカバリーできる事は必要だし、反省は受け入れる

べきだし、そこに後悔があるなら、やり直す

ことが可能な世の中であるべきだと思います。


何十年のも昔のことを掘り起こされて気の毒、

といった側面もわかります。でも何十年も

あったのに、彼は反省をしたり謝罪をしたり

具体的に行動したことがあったのでしょうか。

今の時代すべて残ってしまいます。

悪事を武勇伝のようにしゃべったように、

反省も、内省するだけでなく、具体的に

言葉にしなければいけなかった。

コンポーザーとして依頼を受けるときに、

贖罪の気持ちも込めて作曲したいと言う会見

でもあれば、また受け取り方も違ったのでは

ないかと思います。

問題になってからの謝罪文は、たとえ本心でも

もう、本心として受け取る人は少ないと

言うことです。