~どんな立場の人であろうと
いつかはこの世に  おさらばをする
たしかに順序にルールはあるけど
ルールには必ず反則もある

街は回ってゆく 人1人消えた日も
何も変わる様子もなく 
忙しく忙しく先へと

100年前も100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに  生きていたことが
帳消しになるかと思えば淋しい

街は回ってゆく 人1人消えた日も  
何も変わる様子もなく 
忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く

愛した人の席がからっぽになった朝
もうだれも座らせないと人は誓ったはず
でも その思い出を知らぬ他人が
平気で座ってしまうもの

どんな記念碑(メモリアル)も 
雨風にけずられて  崩れ人は忘れられて 
代わりなどいくらでもあるだろう
だれか思い出すだろうか
ここに生きてた私を

100億の人々が忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番
宇宙の掌の中人は 永久欠番~


中島みゆきさん
『永久欠番』


周囲の大切な人や、大好きな有名な方が旅立つと、
必ず聴いてしまう歌。

忘れられてしまう事を歌っているけど、

2度と会えない旅立ちの日でも、

いつもと変わらず笑って過ごす人々の中で、

現実を受け止めないといけない風景が、

瞳に浮かぶ┈。

そんな気持ちで聴いてしまうんです。


今日、仕事中に信じられない速報が入りました。

志村けんさん永眠。

絶対に元気になる。
また、笑わせてくれる。

その思いは叶いませんでした。

きよし君がデビューしてから、ずっと見守ってくれて、

2年連続で紅白歌合戦にも応援に来てくださいました。

会社でも┈みんな絶句して┈。

本当に年代関係無く、

愛されていたんですよね。

悲しくて悔しい。

コロナが憎い。


けんさんは、みんなの心の中にいる。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

忘れてはいけない大震災から9年。

2011年3月11日

14時46分

大きな揺れに襲われ、

先が見えない事態を被る事となりました。


会社で仕事中に地震に遭い、

強い揺れの1時間10分後に、津波第一波が到達。

函館駅からベイエリアにかけて、4度の津波。

家にも帰れず浸水作業。

会社の外は1m以上の海水に被われ、

不気味な光景。

翌日、電波が繋がるようになると、溜まっていたメールが手紙

テレビを見ていた道内外の友人から、会社の周辺が映っていたと┈┈ガーン

心配してもらい、有り難きえーん



翌年、

2012年2月22日

1度目の手術。

切除する箇所が大きく、術後にベッドから起き上がるのが、こんなに大変なものなのかガーン

と、身体を動かせず┈┈えーん


更に翌年、

2013年5月1日

初期というものの┈┈癌の切除。


さすがに、精神的にもやられた~えーんえーんえーん


退院後の自宅療養中は、

ベランダから見える飛行機飛行機が通る度、

『もう┈どこにも行けないのかな~?昨年のクリコン🎄「雪月花」良かったな~ラブラブ東京にも行けないのかな~?

そんな毎日でした。


でも、仕事復帰が決まりアップアップアップ

運転車も出来るようになり、

母と行った、

GLAY緑の島ライブ音符

もちろん!会場には行けませんアセアセ

巴大橋というところから見てましたアセアセ

GLAY初めての緑の島ライブ音符

凄い迫力があって、橋からでも歌が聴こえるし、モニター見れるしラブ




なんだかんだで、

今も生きてます!

行けるところは行って、

幸せです!


明日は癌検査だけど、

負けないよグッド!


あの頃、励ましてくれた皆様、

今も励ましてくれる皆様、

本当に、ありがとうハート