幕末の棋士天野宗歩が作ったとされる詰物(詰将棋?)があるそうです。
上図がその作品。
大小詰物というのは特定年月の大小を盤上に記録したものとのことで、読み方は盤上の枡目を1一、1二、...、1九、2一、2二、...、2九、...の順番で追っていき、玉方の駒があれば大の月、詰方の駒があれば小の月を割り当てるようです。 嘉永5年(1852年)は、下図のように1ヶ月が30日(大)の月と29日(小)の月が存在し、13ヶ月(384日?)あったようでこれは作品の駒の並びと一致します。
当時は陰暦が使われ、一ヶ月の長さも年によって毎回違うので人々はその年の各月の大小を記録した「大小暦」を作っていたとのことです。
天野宗歩は詰将棋はほとんど作らなかったようで、本作品も遺品の中にあったものでした。
ではなぜこのようなものがあったのでしょうか? 嘉永2年、富次郎(宗歩)は7年間連れ添った妻と死別しました。以下は私見ですが、失意の中にあった彼を救ったのは将棋界の縁者でした。師匠の11代大橋宗桂たちは富次郎に別家を建てての御城将棋出仕を許す配慮をしたのです。富次郎はお世話になった彼らへの手土産として出仕年の大小暦を兼ねたこの詰物を準備してたのですが不詰に気がつき、お蔵入りとしたのかもしれません。
【参考文献・サイト】
1)東洋文庫 続詰むや詰まざるや 平凡社 1978年
2)大小詰物
天才棋士唯一の詰物が不詰というのは残念ですが、これをモチーフとして詰み筋があるように適当に駒をいじったのが下記局面です。
かなりの難問かもしれませんが腕に覚えのある方は解答を見ずに以下のルールで詰手順を考えていただくのも良いかと思います。
・詰方は可能な限り持駒を余すかより短い手順で詰むように王手をかける。
・玉方は詰方の持駒を最大限使わせた上で最も長く手数がかかるように王手をはずす。
・他は詰将棋のルール【例】に準じます。
解答は少し離したところに貼っておきます。
間違ってる場合は戯言としてご一笑いただければ幸いです。
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▲1二銀成 △1四玉 ▲1三成銀 △同 玉
▲2三金 △1四玉 ▲2四金 △同成銀
▲1二飛 △1三歩 ▲同飛成 △同 玉
▲2三桂成 △同成銀 ▲同 馬 △同 玉
▲4六龍(A)
手が広く、応手の選択に迷う局面です。
△3四歩(イ)▲同 角 △同 玉
▲3五銀 △2三玉 ▲2四歩 △1三玉
▲1四歩 △2二玉 ▲2三歩成 △同 玉
▲4三龍 △1四玉 ▲3四龍 △1三玉
▲2四銀 △1四玉(ロ)▲2五銀 (ハ) まで35手詰
【補足】
(イ)5六または4五への中合いは同角で取った駒を使わなくても詰むので無駄合。
3四桂合は4三龍、3三金、3四角、1四玉、2五銀、1五玉、1六銀、
2六玉、2七銀打、3五玉、4五龍、2四玉、1五銀、1三玉、2五桂、
2二玉、3三桂成、同 玉、2三金 まで歩余り。
よって3四歩合が詰方がどう指しても持駒を全部使わせる最強の受け手。
(ロ)玉が2段目に逃げるのは▲2三銀成以下手数は長いが銀が余る。
(ハ)▲1五銀打、▲2三銀打も可。
いかがでしょうか?
変則ルールにはなりますが、
通常の詰将棋にはない、ハッとする詰上がりになる点ご覧いただければ幸いです。