大原野山麓 西国三十三所善峯寺の枝垂れ桜 4月9日紀行第4回
山麓の勝持寺の上ってきた道を戻り、南春日町から灰方を経て大原野小塩町の西国三十三所善峯寺(地図参照緑印)に向かいました。

善峯寺は、勝持寺より高所にあり山道のドライブで灰方からおよそ4キロほどにある、バスなどの大型車が駐車できる第二駐車場までは快適に飛ばしてきましたが、そこでアクシデントに出会いました。
アクシデントは、4月6日午後6時頃、第二駐車場を過ぎ参道口付近の少し先で がけ崩れ が発生し、第一駐車場に向かう道路が通行止めになっていたのです。
そのため、ここまでの花見観賞のように車の門前に直付けの花見は適わなくなり、初めて九十九折の急勾配の歩道「よしみね参道」を息急き切らして登り、やっと善峯寺の山門に辿り着きました。これにより、快適なハイヤーと整備された道路の有難味が切実に分りました。
しかし、山中に創建された寺社は、山麓から歩いて参詣をすることが本来の姿でありますので、参道くらいは息急きを切らして登りませんとご利益を授けて頂けませんことで、気持ちの良い一汗をかきました。

由来によると西国三十三所善峯寺は、1029年に源算上人がこの地に小堂を建て、自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元七年(1034)に後一条天皇 から「良峯寺」の寺号と聖詠をたまわって以来、歴代天皇の崇敬あつく、中世 には「西山宮」と称する門跡寺院となり、五十あまりもの堂塔を有する大寺院となりました。
しかし、応仁の乱(1467~77)の際に兵火を受けて焼け、現在の諸堂の多くは、江戸時代に徳川五代将 軍綱吉の母である桂昌院の援助によって再建されたものです。
元和七年(1621)再建の多宝塔は、現存最古のもので、重要文化財に指定されています。

深い木立の中にある善峯寺の10万㎡の広い境内(googleサテライト地図参照)は、京都が眼科に見える回遊式庭園で、1692桂昌院によって再建された山門を潜り、正面の観音堂の十一面千手観世音菩薩をお参りして、右手を進むと天然記念物の樹齢600年の五葉松は、さすが「日本一の松」と称するだけあって、必見の松です。「遊龍の松」と呼ばれる松は、枝が横に長く延びていて全長54mありましたが、平成6年に松くい虫のため15mほど切りとられました。松の幹元は太く、枝はまるで龍が遊んでいるように延び脇にある標石は1886年鳥尾中将の書であり、それから先の枝はあまりにも長く、松の先端はカメラの視界外でした。

「遊龍の松」と1705年建立の経堂の先にある枝垂れ桜は、桂昌院お手植えのもみじとの寄せ植えで、花はかなりほころびはじめ、後一週間ほどで満開となる状態でした。
枝垂れ桜を観賞し、つりがね堂、多宝塔、阿弥陀堂や幸福地蔵など歴史ある古寺の諸堂を参観して、心から安らぎを感じました。

枝垂れ桜

また、境内からの京都市街の展望は、うす曇で靄がかかっておりましたが一望でき素晴らしい眺めでした。
善峯寺の古い歴史を感じ、急坂の参道もそれほどの苦労もなく下山し、駐車のハイヤーまで戻り、日帰りの花見を終え帰路につきました。お世話になりましたハイヤーは、帝産観光タクシーで、ドライバーは戸田さんで一日の観光案内を有難うございました。

あとがき
京都日帰りの旅は、実は初めてではなく3回目の日帰りの旅でした。
最初の京都日帰りの旅は、いまから12年前の平成6年11月に周山街道の高雄、槇尾、栂尾の三尾の紅葉名所を歩き、二回目は翌年11月に大原の里の三千院、寂光院を歩きました。この時は、東京から新幹線と京都の路線バスを利用し、目的地一箇所の周回と帰路に洛東の一寺に寄って帰りました。
今回の旅は、久方振りの京都日帰りの旅であり、趣を変えて春の桜・花見とし、観光ハイヤーを利用して複数箇所の桜の観賞を目的として企てましたが、花見時と天候が選べる日帰り旅行は、宿泊の余裕が得られない場合に好適で、混雑が予想される桜・花見で多数の場所を周回するハイヤー利用は最適でした。

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