【HK9S/EDUCE】◎『夜を乗り越える』◎又吉直樹〈著〉◎ | HK5STUDIO/CONVENI

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 ■「異質」を発見する文学へ誘う
自らを固定しない、流動的で信頼できる知性による読書指南、それが本書だ。小説『火花』で出版不況の打開を導いたピース・又吉直樹が、今度はゆきとどいた配慮により、潜在的な読者をゆりうごかす。
いったん自分を落として、それから読み手の心に入ろうとする――説得の常道だろう。本書でも、幼年期からの「恥の多い生涯」が開陳される。太宰治『人間失格』の大庭葉蔵の反映。独自性と自滅性により基本的には笑えない芸人・又吉への再認識が起こる。お笑い界のディテール語りも多い。
読書の意義が考え抜かれている。あえて要約すれば――世間のしいる画一性から離れるために読書がある。自分の特異さに悩む人間に本が回答をあたえる。しかも同調だけではなく、さらに異質なものの発見へ読書はいざなう。
又吉が見据えているのは単純に括(くく)りきれない文学のアナーキーさだ。それは読むごとに異なる反応をひきだす再読の称賛につながる。やがて自分の創作を養う創造的な読書すら生まれてゆく。ここまで来ると主張も過激なのだが、初学者に向けられた親しい口調がそう意識させない。しかも指摘の個々は文学の熟練者にも納得を覚えさせる。
古井由吉『杳子(ようこ)』の引用、「岩ばかりの河原をゆっくり下ってきた彼の視野の中に、杳子の姿はもっと早くから入っていたはずだった」。この一節を又吉はこう語る。「物語が進んできて『入っていたはずだった』と書かれると、ちょっと戻る感じがしました。(略)三人称で、本来作者からの視点で、完全に把握されているはずの人間が揺れています。(略)めまいを感じる思いでした」。作者すら阻害する叙述の機微が掴(つか)まれている。
『火花』の話題も出る。驚愕(きょうがく)したのは冒頭回帰しそうでズレるあの小説の見事な構造が、当初意図せずに書き進められていたこと。うごきつづける又吉の知性は、みずから「揺れ」を執筆に導入していたのだ。