人間の醜い部分を見なくてはならないというのは、非常につらいことである。別に仲良しこよしでいる必要もないとは思うのだが、それでも、憎しみやねたみの感情をあからさまに見せつけられるのは、つらい。そもそも基本的に、グループ内で怒鳴り散らすような人はいない。激発的な怒りを示すならば、それは明らかな違反であり、懲罰発議の対象となるからだ。その意味では、皆、表面的には平穏である。内部でいかにドロドロした感情が渦巻いていようとも。だから、言いたくても言えないマグマのような感情を抱えつつ、葛藤に苦しむのが常である。私も、この数年、人間関係では多大の苦労を強いられていて、もともとの抱え込む性格のゆえに、さらにつらい経験をしてきた。また、潜在的な対立構造を理解した上で、その人間関係を調整する役割を担っていたことも、さらにつらさを増す要因となった。明らかに私は役不足だった。うまく集団を取り持つ、オーガナイザーにはなり得なかった。

本来の理想は、何を決定するとしても、全員一致で、皆幸福というものである。でも、何かと支配的な位置につけ、強引に自分の意見を押し通そうという人もいるものだ。地方出身者の彼はまさにそう。何かにつけて、自分が正しい、皆がおかしい、という雰囲気を引っ張ろうとするため調和が乱れるのである。幾人か彼に同調するものもあった。首都地方の年長者は真っ向から対立した。私は、常に中立的であり、調整する役割を十分に担っていたつもりだった。よく空気を読んだつもりだった。でも、それが裏目に出てしまった部分もある。

ある一人のメンバー(指導的立場にはいない)について、彼を指導的立場に推挙するかしないかをめぐって、真っ二つに割れてしまったことがある。地方出身者が発議したものであり、彼はかなり推していた。当初あまり同調するものはいなかった。特に、首都地方出身者は、かなり慎重であり、彼の資質を疑問視していた。私もその意見に心の中で賛成していた。その通りだったのだ。しかし、地方出身者としては面白くない。政治的に立ち回り、自分の意見が支配的であるように仕向けていったのである。実に見事で、私と首都地方出身者が逆に孤立させられるようにもっていってしまった。そもそも多数決で決めるべきものではないのに、結局私たちは少数派になり、周りに勝手に決められてしまった。強制的に妥協させられる形となったのである。