Katoo the World -2ページ目

金づる

週刊誌を見ていたら、ある韓流アイドルが日本人ファン向けに韓国でミーティングを行ったと言う記事があった。

アイドルとの観光、ディナーショー、2ショット写真撮影などファンにとっては夢の様な内容だった筈なのに、罵詈雑言犇く記事になっていた。

詳しい内容は分からないが、アイドルと会える時間もごく僅か、高額の参加費に合わせて、現地でも事ある毎にお金を使わされ、期待に見合わない内容に、流石の日本人ファンも怒り心頭であったと記事は伝えている。

またやっているのか…と、流し読みしてしまったのだが、ある日本人ファンの一言が、妙に引っ掛かった。

「どんなに愛していても、所詮私は”金づる”と言う事なんですね…」

彼女がアイドルに求めた愛が、具体的にどんな事なのかは分からないが、愛を求めるが故に、大金を払い続けてきたのは事実だろう。
そしてその金が膨れ上がる程に、求める愛も大きくなるのが世の常だ。

見ず知らずのファンから支払われる大金に対して、アイドルとしての彼は何を返せば良いのだろうか?
ファンは彼の何を買っているのだろうか?
求められる愛とは、一体何なのだろうか?

ファンミーティングが残念な内容になったのは、アイドルがファンの愛を受け止め切れなくなったからだと、私は考えている。
彼はファンから、言われなく与えられた膨大な金と愛と憎しみから逃げたのだ。

それに引き換え、AKB48の大島優子は「私たちにとって、票数(金)というのはみなさんの愛です」と言い切っている。
”アイドル”としての責務を果す意味で、私は大島優子を高く評価している。

アイドルはファンからの、理不尽なまでの金と、暴力的なまでの愛と、降って沸いたような憎しみに晒される。

アイドルを愛するなら、その光と影をしっかり見据え、彼等がイキイキと輝ける為に応援して頂きたい。

ファンは応援するアイドルを選べるが、アイドルはファンを選べないのだ。

かとぅ

芥川賞

ここ数年芥川賞の権威が、変な意味で上がっている。

私にとって、あらびき団やダウンタウンのガキの使いやあらへんで!における、山-1グランプリの様な「若手お笑い芸人の登龍門」と同じ認識だ。

作品そのものに興味は無いが、作家の面白人間度には俄然興味がある。

田中慎弥の「芥川賞を貰っといてやる」発言や、西村賢太の「昼からカップ酒飲んで風俗へ行く」生活が物議を醸している様だが、そもそも芥川龍之介自身がダメ人間だった訳で、芥川賞とはダメ人間コンテストであったのだ。

寝起きから頭がガンガンする。
昨日の深酒が祟っての事だから、煙草に火を付け、ボツとしている。
昼間から銀座のカフエへ繰り出し、ウヰスキーを喰らい、女中を口説くが、今日もダメであった。
活動写真なる珍奇なる絵巻を見に、フラフラと銀座を歩くが、前後不覚。
気付けば花屋のトメの処に来ている。
水を一杯頂戴し、退散しようと思うも、トメが引き留めるので、仕方が無い、牛鍋でも食べに行くとするか。
...そんな古き良き明治、大正、昭和初期の作家達を喚起する芥川賞受賞者の生き様である。

そもそも文学やそれを生み出す作家とは、時代や権威に牙を剥く危険な存在であった筈だ。
芥川賞選考委員の石原慎太郎も、かつてはそうであった。
しかし、権威に牙剥く存在が逆に権威になってしまった今、田中や西村の様な作家が出て来た事で、石原は選考委員引退を決意したのではないだろうか?

どんなイケメンも及ばない、最高に格好良い男達である。

かとぅ

震災

震災から一年経ち、この一年が日本や世界にとって、如何に特別な年であったか思い知らされた。

復興が上手く行っているとはまだまだ言えない状況だが、我々は前を向き一歩一歩歩き出している。

被災地追悼特番を観ながら、被災者の方々の強さに逆に勇気付けられた。

しかし、原発問題、汚染廃棄物処理、手付かずの被災区域と、山積する問題は根深い。

特に世界的に見て、今の日本がどの様な立ち位置あるのかが気になる。

絆や、助け合いは大切だ。
それを感じる事で救われる人々も数知れない筈だ。

しかし、それはグローバリゼイションとしての日本を考えた時に、私にはどうしても浅ましく感じてしまう。
それを日本が自ら言うか?と感じてしまうのだ。

世界が共に絆や助け合いを声高に叫んでくれるには、何よりも先に正しい情報を開示し、起きてしまった天災と起こしてしまった人災を、世界に正しく示さねばならない。

震災から一年が経ち、我々は強くなった。
現実を受け入れる覚悟もある。

だから、もうまやかしや、都合の良い言葉で我々を煙に巻くのはやめてほしい。

その限り世界からの信用は取り戻せないだろう。
日本は震災の被害国だが、放射能汚染に関しては加害国である事を忘れてはならない。

かとぅ

3/18(日)鉄メタルライブあります。

鉄メタルライブあります。
かとぅでございます。
私が歌って弾いて踊る、鉄メタルライブあります。

今回のライブ後、夏までレコーディングに入りますので、
暫しの別れになります。
それでは暫しご歓談をお楽しみ下さい。

2012年3月18日(日)HAMMERHEAD Presents
HR/HM復興企画「鋼鉄のManifesto Vol.9」
http://metalmanifesto.com/top.html
                 
四谷アウトブレイク
東京都新宿区四谷2-10 第2太郎ビルB1
TEL:03-5368-0852
OPEN/16:00 START/16:40
前売/1,500円 当日/1,800円(ドリンク代別)
出演:
雅流風/FALSE MESSIAH/鉄メタル/M.S.E/
KILLING FIELD/Red Emperor

鉄メタルの出演は4番目になります。
お越し頂ける方はメール下さいませ。
t_metal3000@yahoo.co.jp
皆様のお越しをお待ちしております!

鉄メタルHP↓
http://tetsumetal.gozaru.jp/
鉄メタルmyspace↓
http://www.myspace.com/1004292877
鉄メタルfacebook↓
http://www.facebook.com/?ref=logo#!/TetsuMetal

待合室

健康には自信がある。
風邪は引かないし、持病も無い。

しかし、時に自己メンテナンスを兼ねて病院で検査を受ける。
今日はここの所痛かった、腰辺りの検査に病院にやって来た。

久々に病院に来て思ったのだが、今も昔も病院は混んでいる。
今日診察に来た病院は、先生が一人で回している個人経営だが、1時間近く待たされている。

診察見込み時間や、予約状況の開示や、10分前の携帯呼び出しサービスなど、患者の立場に立ったサービスを期待したい所だ。

しかし、皆そんな苦情はないかの様に患者の顔見知り同士が談笑している。
そう、待合室は老人のサロンとしても機能しており、治療よりもそれを楽しみに患者が集まって来るのだ。

ひと言の会話から元気になる症例もあるし、それを悪く言う気は更々無いが、やはり時間に限りのある私にとって、どうしてもヤキモキとさせられてしまう。

マンジリともしない時間ばかりが過ぎて行く。
どうにかならないモノか…。

と思っていたら、そこに書かれた意外な注意書に驚く。

「wi-fi繋がります」

私は手早くiPadを取り出し、メールをチェックする。

今日はオバマ大統領との会食予定が入っている。
待合室の時間すら無駄に出来ないのだ!

...終わった。
モノの3分で全ての対応が終わってしまった。
やるべき事は全て過ぎ去り、私には診察までの無限の時間が残された。

寂しい。
寂し過ぎる。
そんな時、私の肩をポンポンと叩く者がいる。

「みかん、食べるかえ?」

一粒のみかんを差し出し、おばあちゃんが笑っている。
私は胸に詰まる想いを抑えながら、みかんを頂いた。

病院でおばあちゃんが剥いてくれたみかんは、衛生上どうなんだろうか?
一瞬よぎるそんな想いを打ち消し、私は一粒のみかんを噛み締めた。

それは爽やかに甘く、私を十二分に勇気付けてくれた。
明日お返しに、何を持っていこうか。
ウキウキとしている自分に驚くが、これはこれで悪くないものだ。

かとぅ

野菜嫌い

私の知人に農業を営んでいる者がいる。

数年前まで彼は全ての人類の苦悩を背負ったかの顔付きで、若くして朦朧としており、本当に心配したモノだ。

忙しいながらも、土に根を下ろし、イキイキと野菜を育てる彼を見ると、人は土から離れては生きて行けないと言う、天空の城ラピュタにおけるシータの名台詞を思い出さずにいられない。

時代が変わろうとも、技術が進歩しようとも、私達は土の恵みを得て生きている事を忘れてはならないのだ。

そんな彼が先日カレーを作ったという。
私は頂く機会が無かったのだが、食べた知人曰く、市販のカレールーで無くスパイスの調合から作った本格的なインドカレーに仕上がっており、店で出されるカレーに遜色無い出来栄えだったと言う。

何ともネイチャーかつロハスな男になったモノだと感心していたら、何と彼は、そのカレーが食べれなかったらしい。

何故だ?

「いや、俺、辛いの食べらんないッス」

辛くなくすればいいじゃないか?

「どっちみち、野菜が入ってるから、食べらんないッス」

そう、彼は野菜農家でありながら、極度の偏食で野菜を食べられないのだ。

因みに彼が一番嫌いな食べ物を聞くと、即答かつ食い気味で答えた。

「ナスです」

何でも見た目がツルンとした紫色で、カブトムシの様で怖い、との事だ。

さてそのカレーだが、野菜盛り沢山で彼が食べられないとしても、野菜農家として良い仕事だったと言う。

「野菜は近くのスーパーで買いました。あのスーパー特売日、超オススメっす!」

どうやら私は彼を買い被り過ぎた様だ。
やはりトンデモ無い愚かであった。

かとぅ

幻の秘祭

昨年くらいから話題になっている街コンだが、一体どこで開催されているのだろうか?

行った事も、見た事も、誰かが行って来たと聞いた事も無い。
夜な夜な繁華街に繰り出す私ではあるが、それらしき現場に出くわした事も無い。

しかし、巷では大人気の様だ。
参加もエントリー制で、受付開始数分で定員に達する街コンもあると言う。

数千人規模の男女が出会いを求めて、酒を飲み、街を練り歩くと言うから、これは天国か地獄か、愛の凱旋か百鬼夜行か...。
参加の為なら、私は騎士にも妖怪にもなろうではないか!

しかし、その前に通常の合コンにすら行った事が無い事に気付く。
合コンや街コンとは、蘇民祭や隔離された部落の秘儀の様に、私の想像を無限に掻き立てるのだ。

かとぅ

ドキッ!

芸能人の年の差結婚がブームである。

近年話題になった夫妻をまとめてみよう。

高橋ジョージ&三船美佳夫妻:24歳差
市川正親&篠原涼子夫妻:24歳差
ドリカム中村正人&HIGH and MIGHTY COLORマーキー夫妻:29歳差
ラサール石井:32歳差

まるで記録に挑んでいるかの如く、加速する年の差婚だが、そのブームに止めを刺すかの年の差婚が、遂に出た。

加藤茶&加藤綾菜夫妻:46歳差…。

一瞬目を疑うが、理解して改めて記事内容を疑った。
まさか、こんな事が…46歳だと…?

一昔前には小柳ルミ子&大澄賢也夫妻の13歳差で騒ぎ立てていたのが、一体何だったのか?

人は幸せになる為に生まれてきたという。
どんな形であれ、他人の幸せを否定など出来ない。
しかし、頭で理解は出来ても、心で納得出来ない私がいるのだ。

私は加藤茶が好きだ。
芸能人としても、ミュージシャンとしても、コメディアンとしても、大いにリスペクトしている。

いかりや長介に頭を叩かれた際、彼の放った言葉が忘れられない。

「ドキッ!」

頭を叩かれて、ドキッ!とは如何なる事であろうか?
普通、アタッ!とか、ズコッ!とか、いってもOh,Yes!位だ。
ドキッ!は早々出ない。

ここからして、加藤茶の非凡振りが窺い知れる。
そう、彼は我々とは違う。
我々一般人としての尺度を持ち出す事自体が、加藤茶に対する冒涜である。

46歳の年齢を諸共しない非凡な人間と同じ時代を生きれる事に感謝して、加藤茶の結婚を祝福する事に決めた。

改めてご結婚、おめでとうございます。

かとぅ

おい痴漢!

電車に乗ろうと駅に向かう。

何時もは執事のポーターの運転で、レッドサンバーストのトランザムで明治通りを飛ばすのだが、今日はのんびり行きたい。

そんな時、文庫本をポケットに忍ばせ、当て所なく電車に乗るのだ。

どこまで行ってみようか、誰もいない山奥の駅で哀愁のカップ酒か、はたまた日本復興の息吹を感じに工場地帯まで行ってみるのも悪くない。

ご無沙汰しているあの人に突然会いに行ってみようか…、等と考えながら駅構内に入ると、プロレスラーの駅張りポスターだ。

「おい痴漢!お前の顔は覚えたぞ!」

恐らくは痴漢撲滅キャンペーンのポスターであろう。
私は男性なので、痴漢被害にあった事は無いが、キャンペーンが組まれる程に女性にとって痴漢は頻繁にあるのだろう。
深刻な社会問題である。

だが、ここで一言言わせて頂きたい。

私は女性が好きだ。
だから、好きな女性が嫌がる事は、絶対にしないし、許しなどしない。

そんな私を、頭ごなしに痴漢と呼びつけ、顔を覚えた等と恐喝するとは如何なる事か?

あまつさえ、筋骨隆々のプロレスラーに凄まれては、電車に乗る前から、「スミマセン、私がやりました…」と、自白してしまいそうになる。

あの時は気が動転して、思わず認めてしまったが、私は電車に乗ってもいないので、やはり私は痴漢などしていない!

一体私が何をしたと言うのか。
清廉潔白の私を痴漢呼ばわりとは、断罪されて然る可きだ。

釈然としないまま、私は電車に乗り込む。
過度なストレスに身体が熱い。

行き先は決まった。
渋谷に痴漢プレイを楽しめる「電車でGO!GO!」と言う店があった筈だ。

かとぅ

大戸屋ランチ婦女子流

東京に大雪が降った今日も、何時もの様に大戸屋に行き、大戸屋ランチを注文した。
何時もの日常を何時もの様に過ごす私だが、一つ違う事は、いつもと違う街での大戸屋ランチであった。

住宅街にあるデパートに入った大戸屋の客層はやはり女性が多く、若手から年配まで幅広い女性が大戸屋に集っていた。

そして、殆どの女性が大戸屋ランチを注文しており、それぞれが思い思いの食べ方で大戸屋ランチを食していた。

大戸屋ランチをご存じ無い方などいる筈も無いが、念の為に説明しておくと、大き目の丸皿に、かぼちゃコロッケと鳥唐揚げにサラダが盛り付けられ、何故か目玉焼きが上に乗る定食である。
ご飯と味噌汁、お漬物が付き、税込み640円。

これは御得であると言わざるを得ない。
完全食と言っても良いだろう。

しかし、ここで問題となるのは、やはり目玉焼きである。
黄身だけが半熟であり、目玉焼きとしてのクオリティーも非常に高いのだが、揚げ物の上に乗せられた半熟の目玉焼きほどタチの悪いものも無い。

揚げ物を食べようと箸を伸ばすと、黄身が割れ、揚げ物に流れ出す。
揚げ物に半熟の黄身は、想像以上に合わない。
かと言って、先に目玉焼きだけ食べてしまうのも、不粋と言うものである。

さて、世の婦女子は如何にこの難題に取り組むのだろうか?
そう思って見ていると、それぞれに驚くべき食べ方を繰り広げていた。

乗せられた目玉焼きを一々捲りながらコロッケを食べる者、潰した黄身に醤油を垂らし、それに唐揚げを付けて食べる者、慎重に黄身だけ取り分けて、味噌汁に入れて食べる者。

誰しもがそれぞれに大戸屋ランチスタイルを築いているのを見て感心する。

ちなみに私は、ご飯の上に目玉焼きを乗せ、醤油をかけ回し、目玉焼き丼を作るのだ。
我ながら完成されたスタイルだと自負している。

しかし、そんな中、一人の女性が驚くべき大戸屋ランチスタイルをみせた。

目玉焼きが一番上に乗るデフォルトの盛り付けのまま、目玉焼きの上にソースをかける。
そして、目玉焼きをオカズにご飯食べる。
目玉焼きを食べ終わると、コロッケや唐揚げはそのままに、彼女は席を立った。

彼女にとっての大戸屋ランチは、目玉焼きこそがメインだったのである。

いろいろあって、それが良いのだ。

かとぅ