書くのを迷ったんですが、色んな人達が日記、ブログ、twitterなどで発信しているので僕も日記を書かせてもらいます。
少し生意気なことを言わせてもらいます。
僕が20才から22才までの約3年間、DJという職業についてました。
運も良く、1ヶ月で多いときで30本。
少なくても20本以上はプレイさせてもらってました。
Tokyo Rave,Trance Quest,Trance Rave,などFURA,ATOMのイベントを始め、都内の主要クラブ、イベントではほとんどDJしてきたと思います。
そのDJというか、むしろ自分自身の音楽形成そのものの原点でもあるのが、『PYLON』というクラブです。
同年代の人達だったら1度は名前は聞いたことがあると思いますが、日本の社会現象にまでなったクラブ。
若い人達は知らないかな?
青山、渋谷、六本木と場所を変え、多くの伝説があるクラブの1つで、
『遊びに行くならパーイーロン!!』
このフレーズから始まるCDは爆発的に売れました。
渋谷は現在のATOMの場所、六本木はCCCホール、マゼル、スパイラルなどがあった場所です。
残念ながら年齢的にも渋谷のPYLONは1度しか行ったことがなく、六本木PYLONからしか知らないんですが。
初めてTranceを聞いたのも、初めてDJをしたのも、すべてはPYLONから。
そんなPYLONのオーナーだった、フィリップ・A・ミラー氏が昨日亡くなりました。
ここ何年かは会ってなかったんですが…。
ホント無茶苦茶な人だったと思います。
バーカウンターの上に乗って騒ぐわパンツ脱ぐわ、クレイジーで破天荒にもほどがあるってゆうか。
生意気にも音楽の方向性に意見して、言い合ったりもしました。
それでも、DJを始めたての自分を使ってくれて。
実は過去に何度か香港やドイツ、アメリカなどの海外のレーベル、クラブからDJとしてスカウトされたことがあるんです。
その時も親身に相談にのってくれたり、仲介に入ってくれたり、条件が悪かったのか相手のエージェントを怒鳴りつけてくれる時もありました。
自分も若かったし、単身で海外に行く勇気もなかったし、英語も話せないしですべてお断りしましたが。
フィルが亡くなったと聞いて、残念だし、無念だし、スタートラインが消えてしまって感じが寂しくて。
でも、フィルはもっと辛かったんだと思います。
上半身裸でクラブの中歩き回って騒いでたのが、つい最近のように感じます。
PYLONに在籍してたのは、PYLONが無くなってしまうまでの半年ちょっとくらい。
そこからFURAやATOM,現在のADSに籍をおくきっかけになったDJ HASHIと出会ったのもPYLON。
クラブDJとしてのスキル、センスを学んだのもPYLON。
DJとしての可能性を広げてくれたのもPYLON。
"今"の始まり、きっかけ、人脈を作ってくれたのもPYLON。
本当にすべての始まりだった場所PYLON。
その場所を提供してくれたフィル。
あなたほどのパーティーピープルはいないと思います。
あなたほどのエンターテイナーはいないと思います。
あなたほどクレイジーなクラブオーナーはいないと思います。
あなたほどクラブを愛していた人もいないと思います。
今の衰退してるクラブシーンには必要な人です。
本当にありがとうございました。
安らかに眠って下さい。
一生忘れません!!
2010/8/24 DJ HIDEAK!
長文最後まで読んでくれてありがとうございます。
もしこれを見て、フィルを知ってるとか、PYLONに行ってたとか、気になった方は連絡下さい。
最近悩みが絶えない。
大まかに今後のこと。
仕事、DJ、人間関係。
言い出したらキリがない。
揺るぐことのなかったアイデンティティさえ今はグラッグラッ。
何をしたいのか、何をしていいのか、まったく検討もつかない。
手探りで進める状況すらないってゆう。
身を任せる流れもなければ見えもしない。
とりあえずの目標はあるけど、その目的がわからない。
たまには意味のないことをして、そこに意味を見出だせたら、それはとても素晴らしいことだと思う。
マイナスだって数学的に掛け算すればプラスになるんだし。
プラスだってマイナスと掛ければマイナスになるんだし。
見方を変える。
それが1番難しいことだと思う。
既成概念ってなかなか変えれるもんじゃないし。
でも、見方を変え、考え方を変え、色んな角度、方向から見れれば、いや、極論、見なくてもいいのかも。
見ないこと。
それが意味のないことに繋がるのかー!
文章書いててひらめいて納得しちゃった(ハハハ
けど、なーんも解決してねー
とりあえず、ageHaのセットから考えないと。
オレはオレで行くね!
