エコは昔からやっていた?気がする。


「 もったいない 」 も私の中では ずっとあった。


かなり暑くなるまでは 車の窓は 開けて走ってるし、 (うちわ は必需品)


タオルはいろいろ使えて便利なので、 2,3枚は これも車の常備品。

(腕にかけたり、ひざにかけたり、)


家を出るとき、使わない電気は コード抜いて行くし、

 ときには、ブレーカーだって切って行く。


高度成長時代、消費は美徳。といわれた頃もあったけど、


私にはどこ吹く風。 だって 私の “からだ”にはずっと前から


「もったいない」 が 入り込んでいたんだから

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小学校1、2年の時かな?

 

 うちが貧乏だったというのが  第1なんだけど、


 父が使い切って不要になった紙の台紙(厚紙になってた)を使って  紙ばさみを作った。

 A3サイズの上と下、 それぞれ4センチずつ内側に折り曲げて、

 今度は縦に三つに折る。  外になる部分に布を張って好きなアップリケを貼り付けて 

    できあがり

学校でもらったお知らせ や テストなど 4つに折ったものを

挟み込む。


まさに必要は発明の「母」。


この紙ばさみは かなり気にいって 

布が破れるまで 使いました。


このほかにも

父が使い残した、手帳の紙を寄せ集めて、新しくお手製の手帳を作ったりもした。

そんなわけだから

「お母さん、何するの。こんな厚紙、いっぱい。」

と言われるくらい、捨てられなくなった。

厚紙も、メモ紙も、封筒も、おかしの箱までも、、、、、、、。



これって もしかして


ただのケチ?…











久しぶりにエアコンなしでも寝れそう?な夜でした。でも条件付き。


出窓と反対側のサッシを網戸に換えてのこと。


そこで考えた。


万が一、万~が一。泥棒が入ってきたらドウしよう。近頃ぶっそうだし、


いや~大丈夫でしょ↑。外灯がこんなに明るいし、普通に考えて泥棒はこんなところフツウに狙わないで


しょ、~なんて言ってはみるものの、一度ついた不安はそう簡単に消えてはくれない。


しばらく外を見続けるはめに・・・・


夜中の12時、あまり人が歩く時間ではなし、まして泥棒する人が、怪しい格好で歩いているわけもなく

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結局すべての窓の鍵をかけ、ベッドに入ったんですが


今度は眠れなくなって



テレビ見たまま、うたた寝しとけばよかった。

私が物心付いた頃から、妹は特別なひとでした。考える間もなくそうでした。


精薄(精神薄弱者)なんだと母に言われて  そうなんだ  と、受け入れたのは

私がいくつだったのか  妹が小学校に上がるとき 拒否?された  と言う母の言葉は

3つ上 (だから3年生くらいかな?) の私のこころには、はっきり残った。


知能レベルが低く1,2才程度といわれて、呼応するように妹は字も書けなかった

、それどころか

まともな線も引けない。小さい頃は逆上して、よく外に飛び出したりもした。よく家族に

緊張が走ったもんだ。



母は平成8年、自分が特養施設に入所するその日まで、妹の面倒を見続けた。



それからどれくらい経ったのか、 さだかではないが  突然、

当時ヘルパーとして働いていた介護事業所から、連絡が入った。


(そのころ、妹はある介護事業所からヘルパーさんが支援に入っていて、私は私でこれまた、別の事業所で

働いていました。)


「妹さんが警察に保護されているんだって」


何がなんだかさっぱりわからない


迎えに行って解ったのが 

どうやら、ヘルパーさんのいない時間に、自分で玄関の鍵を開け、自分で家を出たらしい。どこをさまよったのか 両足太ももの内側には

少しかすり傷があった。


どういう気持ちで鍵を開け、ひとりで歩き出したのか、  


心境を察すると、とてもせつなくなります。


妹はきっと、


いなくなった母を求めたのだと思います。どういう風に心が動いたのか

今、聞いたところで妹からは きっと まともな返事は返ってこないでしょうけど