こんにちは。ひじき茶々です。

今日は誰かの記憶に残りたくて必死だった小学生の頃の私のはなしをします。


私もお茶を飲みながら書いていくので、読んでくれるあなたも、飲み物を片手にゆっくり聞いていてほしいです。


マグカップに麦茶が入っている画像



私には小学生の頃の黒歴史があります。

今思えば、当時の私はすごく焦っていました。

誰かの心に残らなきゃ。
誰かの記憶の片隅にいなくちゃ。
って必死に毎日を生きていた気がします。

その中の一つの暴走――クラスメイト全員に自分(ひじき茶々宛)への要望アンケートを配ったことがあります。

しかも手書き(笑)

今思えば、ものすごい行動力で、
ものすごく何かがずれている……。

でも、そんなの関係ないくらい必死だったんです。

どうしてそんなことをしたか。

それは、私が自分のことを透明人間だと思っていたから。

誰からも認識されない。
誰からも記憶されない。
そんないてもいなくても当たり前の存在。
目の前にいるのに、私をみてくれない。
目の前にいるはずなのに、ロボットと話してるみたいだと言われているかのようでした。

私はここにいるよ。
私はここで生きてるよ。
そんな風に何度しゃべっても、話しても、
誰も聞く耳をもたないかのような居心地の悪さを感じていました。

小学生の頃から、仲良しグループってあるじゃないですか。
あの輪の中にうまく入れなかった私は、いつもひとりぼっちでした。

そして、なにかあるときだけ(面倒な係の押し付けや、掃除当番の担当)白羽の矢がたつんです。

悔しかった。悲しかった。辛かった。

クラスに馴染めないのがつらいんじゃない。
クラスメイトから舐められる存在(下の存在)みたいな認識をされることが嫌だった。

小学生でこの状態なら、高校大学と繋がる道でも私はきっと似たような感じになってしまう……と、いつも不安で仕方なかった。

そんな孤独を抱えていました。

実際はどうかはもう分からないけど、当時の私にはそう感じられました。

そんなある日の親戚のお葬式。

みんなが別れを惜しんで泣いているのを見て、私は悲しくなりました。

「私には、こんなに悲しんでくれる人はいない……」って思ったんですよね。

だから、一刻も早く自分をみてくれる人を探さなきゃ。自分がいなくなったら悲しむ人を見つけなきゃ。って、焦っていたんです。

そして思い付いたのが、「アンケートを配る」だったんです(笑)

アンケートの結果は悲しいかな、ほとんど集まらなかったし、苦笑いも多かった。それに、「なんだこいつ」って思われることが圧倒的に多かったです。

普通はやらないことだから。

でも私は必死だったんです。
どうしたら、誰かの記憶に残れるのか。
どうしたら、私がいなくなった世界を悲しんでくれるのか。

それがなによりの心配ごとだったから。


バカだなぁって、今は思います。
けどその自分さえ今はちょっとだけ愛おしく思えるんです。

本当にバカなことをしたけど。



本当は、誰かの記憶に残ろうとしなくても、自分の記憶に、大切な人の記憶が刻まれていたらいい。

そうすれば、何度も噛み締めて、大切に抱えることができるから。


友達だって、相手がどう思おうと、自分が友達だと思うなら「友達」だと思い続けていけばいいんだと思います。


今は、まだ○ぬ気はありません。

小学生の頃は、二十歳までで人生終わらせる。なんて思っていたけど。

誰からも認識されない人間だった私。

声をかけてもそっけない返事しかもらえなくて、
大親友!とか言い合うクラスメイトたちがとても羨ましかった。

友達がいない。
そんな小学校は私の場合とても辛かったです。
ゼロってわけでもなかったけど、
クラスが変われば、二度と話さなくなる程度だったから。

隣のクラスとの貸し借りの様子を眺めながら、本当に、ほんとうに羨ましかった。

私には、隣のクラスが高々とそびえ立つ高層ビルくらい怖かったから。

自分のクラスのなかでしか呼吸することが出来なかった。それ以外のいきる術をしらなかった。


なんとも生きずらい小学生でしたね。(´ω`)


生きずらくて、遠回りもたくさんしました。
でもだからこそ、今の日々があると思っています。


経験は貯金だから。


それではまたね。ショボーン気づき
ひじき茶々でした。

  

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