橿原神宮を参拝後に奈良県最大の丸山古墳に向かう🚙💨
  丸山古墳は道中、案内板は立っているが付近を車🚕で2周ほど回ったが入口が分からず、車🚙を止め、歩いて🚶探して🔎いると天上院大師堂の駐車場に史跡丸山古墳の看板発見。(丸山古墳の見学者用の駐車場🅿は無いそうです)
  此処から墳丘へ登ると前方部の先端に建つ石塔が建っている以外何も無く後円部の畝傍陵墓へも入れないので早々引き上げ次の古墳へ。

  石舞台古墳へは看板に従って進めば駐車場🅿迄誘導してくれました。

  石舞台古墳は方形基壇の周囲の斜面に貼り石を施した空濠を巡らし、さらに外堤をめぐらした古墳でわが国最大級の方墳だそうです。
  石舞台古墳も丸山古墳と同様に被葬者は明らかでないが大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父👴の蘇我馬子の墓ではないかと言われている。

 石は古墳の傍らを流れる冬野川の上流約3km、多武峰の麓から運ばれ、積まれた約30個の石のその総重量は2,300トンになると推定され、古墳が造られた当時(七世紀)の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれる。

  今年は年号が変わる節目で歴史を考える機会となりそう❗

史跡丸山古墳の看板
やっと辿り着いた史跡丸山古墳の看板、丸山古墳に観光用の駐車場🅿は無いそうです。
 

前方部も平でなく段になっている。

奈良県最大の前方後円墳、6世紀後半に築造されたと推定され欽明天皇と樫塩媛の陵墓であると言う説もある。

前方部の延長318m、幅210m、高さは15mあるそうです。背景は畝傍山です。

前方部の先端に建つ墳墓の標、九重の石塔が建ている。
 
石舞台古墳の入口です。 

外堤から空濠に架けられた階段を渡り墳丘へ 、濠の斜面に石が貼られている。

巨石で築かれた横穴式石室、舞台状の外観を呈している

 取り敢えず記念撮影👀📷✨

羨道の長さは12m.,幅は2.5m高さ2..6mの規模を有し、天井石は失われていた。

玄室の天井、石蓋で塞がれています。天井石の重さは南側が約77t、北側が約64tもあるそうです

玄室の内部、側壁は3段、奥壁は2段積みなっている。

玄室の内部には排水施設巡らしてあり水は羨道に誘導いている。

羨道と玄室の境を羨門と言うそうで、中央に排水路が設けられている

石舞台古墳と復元石棺の説明板

復元石棺
飛鳥時代の古墳に施されている石棺の資料に基づいて復元されている。

石棺の内部
以外と浅い❗