先ごろソニーより発売されたPSPには□ボタンが利きにくい、めり込むという問題があるらしい。話題になっているのはハードの問題よりも「それがPSPの仕様だ」という久多良木発言であり、いたずらに事を大きくした感がある。
こういうのを見ると学歴ってのは重要なのかと思ってしまう。電通大(プ。とか言われちゃう気もするし、同程度の理系大卒な私としては何か自分の限界が見えてしまった。いや、私なんぞ足元にも及ばない実績を残された方ではあるが、がんばってもそこまでかよ、と。

この件について私が問題だと感じているのは、ソニーが純エンジニアリングの視点で判断すべき事柄を一個人の経営的判断に委ねた、ことだ。これはエンジニアが物を言えない環境に置かれていることを意味している。ソニーも堕ちたものだ。

通常の大手メーカーならば日程や製品原価など、売り上げや利益率に直結する要素からは切り離された設計審査、製品審査をする部門があり、こういった類の問題はボトムアップで出てくる筈である。当然、エンジニアからも問題提起され、その場合はこれら部門がそれを擁護する格好になる。
この内部監査機能がその会社のキャラクタを決定付けるものであり、その機能が久多良木氏の一存に任されているとあっては、ソニーは既にソニーでなく、クタラギ株式会社だ。従来までのソニーファンはリセットされ、クタラギファンが残るという状況にソニーの経営は耐えられるのか。

私はソニーの民生用製品は好きでない。とかく先鋭的な製品などと言われるが、なんとなくデザインが良いだけであり、子供だましと感じる。実際に中学生まではソニー好きだったが、今は松下製品が好きだ。そんな私でもPS2は(やむを得ず)所有しているわけだし、また仕事で使う業務用AV機器は実に良い出来だ。逆に松下の業務用機器はイマイチだ。この差がソニーの土台であり、売り上げの遠因だと思う。つまり高い基礎技術から次の市場にユーザーを誘導する力がそこにあった。松下は徹底した実績重視なので基礎技術開発は二の次だ。松下でエンジニアは「難しいことをするな!」といつも言われる。これが関西商法で、確実な売り上げの為には全く正しいと思うし、エンジニアの楽しみは開発でなく売り上げだ。ベタに売り上げ重視なので、ユーザ対応、品質対応には実にうるさい(元社員談w)。

ソニーはこれまで品質問題(ソニータイマーとか)を基礎技術力でカバーしていたわけだが、PSPなどゲーム機の設計は枯れた技術でまとめるべきもので基礎技術力は関係なく、さらにユーザを切って捨てた。これでは資本が大きいだけの二流会社だ。
ゲーム機だけで済む話ならば、情勢が悪くなったときにソニーがゲーム機を切り捨てれば良いだけの話だが、久多良木氏はソニーの副社長であり、次期社長の有力候補だ。しかも海外経済誌に最悪経営者と揶揄された出井氏の後任(安藤氏の後任?)だ。

ソニーがソニーである所以とは、AV機器の高い基礎技術であるが、LCDディスプレイ、HDDレコーダ、CMOSセンサで出遅れている。すなわち表示機、記録機、撮像機というAV機器の全ての分野において、自社開発し最高の技術を持っていたのがソニーであるが、そこで他社の後塵を拝している。現在は前世紀の遺産で食いつないでいるが、起死回生のゲーム機でコケたらソニーの未来はかなり暗い。

ソニーは本当に倒産するかもしれない。
三菱自動車が潰れるようならそういうこともあるだろう。
ここでまあまあデータを揃えて反対表明されている。

○サイトの論旨
地上TV放送のデジタル化は多くの民にとっては無意味なだけでなく自己負担増であり、それを税金を使って推進することには反対。

○私の考え
・TVそのものについて: TV見られなくてもそんなに困らない。まあNHK受信料程度で見れるなら見たい。

・デジタル化について: 地上デジタル放送の意義は周波数の有効活用にある。デジタル化によって占有周波数帯が減る。この点は賛成。

・私個人の利について: 電気系製造業に従事しているので、何らかの利益は享受する格好になる。

・TV以外に電波使えないか: 電波をWiFiに割り振って、そこでネット放送の方がシステムとして美しいが、やっぱ無理ですかね。

・デジタル移行のやり方について: 微妙なところ。反対しきれない。現状では消極的賛成。

以下、各論について私の意見。

■破綻の理由1 1億2~3000万台のテレビ置き換えが物理的に不可能。
概ね同意する。ブラウン管の寿命は10年くらいだと思うが、今現在もアナログ放送チューナーのみを内蔵したTVが格安で販売されていることからして、置き換わるわけがない。しかし、国民には10年間猶予があるのだからその間に買い替え推進したい政府の言うことにも一理あると思う。デジタル放送開始地域ではアナログTVの販売停止させるなど、規制しないと、2011年に「やっぱアナログもうちょいやります」なんて事態になりかねない。現状のまま放置したのでは2011年にアナログ継続/停止のどちらにしても大いなる批判にさらされることは間違いないので今のうちに規制しといた方が被害が少ないとは思うが。

■破綻の理由2 ハイビジョン中心だが、視聴者・国民大衆の多くは高画質・横長に興味なし。
これは単に費用対効果の問題。制度としてここが問題とは思わない。受像機の価格次第だし、時間が解決すると思われる。また、それくらい払わせないと産業振興にならない。

■破綻の理由3 テレビの6割が小型だが、それはハイビジョンに適さず、どうなるか不透明。
適さないだけで見れないわけではない。それを言ったら残り4割の大型TVは現状放送に適していない。小型が多数派といっても圧倒的ではなく、且つ放送規格としてはハイビジョンが上位互換なのだから、規格を論じるのにこのデータを出すのは間違い。(つまり規格はハイビジョンだけどニュースとかはスタンダードで放送するからいいじゃーん、って話に対する反論になってない。)

■破綻の理由4 2011年段階で民放は地上デジタル放送を全世帯の2割(900万世帯以上)に届けられない見通し。
■破綻の理由5 アナアナ変換が終わらないため、2006年末までに全国で放送開始は不可能。
費用の問題ですが、そういう田舎は切り捨てるべきだと思います。何のために衛星放送が別にあるのですか。

■破綻の理由6 全国CATVや都市難視聴CATVのデジタル化対策が一切手つかず。
基本はユーザー負担で解決。

■破綻の理由7 売りのひとつ携帯受信のメドが立たたず、局のメリットも見えない。
別に追加機能が働かなくても大きな問題ではない。アナログじゃできないのだから。

■破綻の理由8 民放は基本的にサイマル放送だから、高画質・横長以外の魅力に欠ける。
本当にどうでもいい。単なるコンテンツの問題。そもそも高画質にする意義のある放送なんてスポーツとNHKのドキュメンタリくらいでしょう。

■破綻の理由9 計画の責任の所在が極めて不明確。国は総務省以外何もしていない。
いつものことだし、NTT関連の方がひどい。

■破綻の理由10 テレビは視聴者・国民大衆のものなのに、その意見も都合も一切聞いていない。
当然。聞いてたら何もできないし、今のTVだって無かったよ。

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各論では反対理由が弱いように感じる。政府のやり方の下手さを指摘しているだけとしか思えない。主要な論点は下記2点だと思います。

・デジタル化に税金がいくら投入されるのか全く見えない。
これは明らかに算出できる数字を積み上げると「じゃあやめましょう」という結論にしかならないと思う。高速道路建設より良いと思うのです。

大切な目的は通信インフラの効率向上です。現状で満足していては経済共同体の国家として落ち込んでいってしまいます。産業面だけ見れば利は大きいです。特に電波の効率的な利用と受像機の買い替え需要。今やるべきか、議論が分かれるのは当たり前ですが、借金をしてやってもいいと思っています。建設業界だけでなく、電気業界にも税金を落としてくださいよ。

ローカル局が潰れるという話もありますが、私はあまりTVを見ないのでローカル局の存在意義というのが理解できません。正直、無くていいと思います。伊藤正則のロックシティが見れなくなるのは残念ですが。

・デジタル化すべき積極的な理由が不明。
このサイトの人は地上TV放送デジタル化の意義について全く理解していないように思えるのが残念である。したがって建設的な意見が出てこない。画質向上とかはあくまでも2次的な結果である、ということをまず覚えておいていただきたい。

元々、デジタル放送の実質的な利というのは、「周波数は有限である」という物理法則への対処である。いや、周波数は無限だが、現在の科学に基づき無線通信をする場合、周波数は有限である。用途によるが、数Hz~30GHzまでである。そしてこれらは全て用途が決まっており、それに割り当て済みと言って良い。割り当てられていない周波数もあるが、それは技術的に使うのが困難なものである。したがって、周波数を効率よく使うのはとても大切なことであり、今回のデジタル化は海を埋め立てて新たなる土地を作るような行為である。しかも、環境汚染などはあまり気にしなくて良い類のものであるからして、本来ならば積極推進したいところである。

デジタルにすると何故良いか、というと答えは簡単である。デジタル化すると圧縮しての通信ができるのである。送信機/受信機でそれぞれ圧縮/展開という負荷を与えることで、通信ラインの負荷を減らすことができるのである。10年前では難しかったが、コンピュータの進歩は著しく、今となっては簡単なことである。これがアナログ⇒デジタルへ切り替える最大の理由である。

余った回線はどうするのかって?使い道はいっぱいありますよ。周波数帯域というのは「常に足りない状態」にあるのですから。
R30氏が煽っていますが、以前にもうちょいまとまったのを見たのでそれに対する反論。どちらも全く解決になっていないと思います。

1.欲しいと思わない
子持ちでないので、子持ちの楽しみは理解できない。苦労が待っているのは明らかである。楽しみがわからないのに子供が欲しいと思うのは、理屈で言ったらおかしい。

2.経済的な問題は二の次
子育てに踏み切れないのは経済的問題だけではない。子供がいない今でもやりたいことが全てはできない状況だ。一日は24時間であり、その殆どが子育てという状況をまず拒否したい。子育てが一日8時間ならば良いが、他人に預けることは拒否したい。ならば子供を作らないという選択肢が正しい。

3.本能はある
しかし動物としての本能はあるので、子供はなんとなく欲しい。私はそれほどでもないが、嫁はどうしても欲しいと言っている。そうすると結局出産年齢限界まで待ってから産みにかかることになる。助成金は出産の高齢化対策にはなるだろう。いつか産むなら早いほうが良いという考え方をしやすくなる。

4.子育て後の再就職
20代というのは社会人の成長で最も大切な時期である。20代に殆ど働いたことの無い人間を会社で雇うか?
冷静に考えれば答えは明らかで、20代前半に子供を出産し、助成金を5年程度もらったところで仕方ない。30歳くらいまで出産を伸ばし、子供を産んだら仕事に復帰した方が子育て以外は圧倒的に充実した人生を歩めるだろう。

まとめ。
出産に関する過度の助成金制度は、女が勉強や仕事でがんばることを無意味化する制度になり、男女のみならず、女性の中でも不公平感を煽ることになる。税金を投入してやるべきこととは到底思えない。そもそも、男女雇用機会均等など辞めてしまえば良いのでは。イスラーム社会のようにキッパリ男女を区別すればいいだけではないか。男は仕事、女は家庭、そういう社会に戻すことが少子化対策には最も良いというだけのことだ。しかし、それを拒否しながらの対策でなければ対策とは言えない。


では対策はあるか?一般論は良くわからないので私の場合。

1.東京で子育てする気にはならん。
なんといっても住居が狭い。私の田舎では、例えば一家4人として、通常二階2部屋が子供部屋、一階2部屋が和室(親の寝室)と箪笥部屋、居間と台所はもちろん別にあり、庭に物置と駐車場が2台分。これが標準的な家というもので、サラリーマンならなんとか買える。通勤時間は1時間以内だ。一方、東京ではどうか。家に払えるのは10万までだ。しかし、それでは子供の居場所など無い。

2.しかし東京を離れると仕事が極端に減る。
まあなんすか、求人数とか、関西は関東の1/10なわけですよ。まあ何かしら働き口はありますが、そりゃ給料も叩かれますわな。

まあ私と同期で既婚者で自分の家一軒持っていて、尚子供を作らない知人も居るので一般的な理由でないかもしれないが、私において経済面で言えばこれが一番大きい。社会効率を多少犠牲にしてでも東京一極集中の緩和が必要なのではないでしょうか。

そのための手段は?っていわれると困るけど。
ビールは神です。なぜなら、私はビールを飲むために働いているからです。私の行動は全てビールを飲むためと言っても過言ではありません。そういうわけで、今回は国産ビールについて語ってみたい。

ビールは大別するとラガーとエールがあり、国産はラガーばかりであり、ラガーの中でもピルゼンタイプばかりです。国産ビールについて語るということは、コカコーラとペプシコーラの違いを論じるのと同様な行為であるのですが、しかし私は明確にコカコーラが好きだし、チェリーコーク最高と言い切れる私ならば国産ビールを語っても良いでしょう。

私の好きなビール銘柄は国産だとエビス、キリンラガー、そしてハートランドです。嫌いなのはサントリー。アサヒスーパードライは場面によっては一番旨いし、サッポロ黒ラベルも同様です。因みに地域限定品や地ビールの類は考慮していませんが、入手性に問題があり、毎日飲むのは無理だからです。最近は居酒屋でもサントリーモルツを置く店が多くて困ります。何で敢えてモルツなのでしょうか。そんなに安いんですかね。

とはいえ、ハートランドを知らない方も多いかと思います。製造は麒麟麦酒で、緑のちょっとだけ洒落た瓶に入っています。価格は河内屋で¥275/500mlなので普通のビールと変わりありません。味わいは、国産ビールに比べてホップの香りが強く、酸味が強く、苦味が弱い。ハイネケンに良く似ていますが、ハートランドが若干繊細で個性を感じます。私はハイネケンが好きで、どれくらいかというと小瓶をケースで買っていた程度ですが、その私がハイネケンよりちょっとうまい、と太鼓判を押します。是非ハートランドを味わっていただきたい。
但し、香りが強めなので和食には合わないですよ。和食にはエビスかキリンですね。

取扱店は少ないです。私が見かけたのは河内屋のようなディスカウント酒屋、及びダイエーで取り扱っていることがあります。東京近郊なら周囲の大規模スーパーを数店舗探せばみつかると思いますが、確実に売っているのはこちら。別に地域限定では無いので酒屋で注文すれば取ってくれる筈です。

さて、ビールの種類について上で少し触れましたが、あれでは意味がわからないと思うので補足します。

ビールは大別するとラガーとエールがあります。違いは麦汁の発酵させ方です。
ラガーは下面発酵、エールは上面発酵です。これは言い換えるとラガーは低温発酵、エールは常温発酵となります。これは酵母の性質の違いで、味わいに大きく影響します。

ほっといたら勝手にできるのは上面発酵/常温発酵のエールです。実際に放置で作るのはベルギービールくらいだそうですが、基本的には大気中の酵母が勝手に麦汁を発酵させるのがエールです。酵母も生き物と見えて、暑すぎず寒すぎずが良いようです。

対してラガーは下面発酵/低温発酵させる酵母を選んで使います。基本的に下面発酵する酵母は低温でも活動するようです。常温でやると上面発酵の酵母も働いてしまい、エールになってしまいます。

このようにエールは勝手に発酵する類のビールなので、土地によって味わいが全く異なり、それも複雑なものになります。対してラガーは選んだ酵母だけで発酵させるので、クリアでドライな味わいになります。また、ラガーは低温発酵させることができるので、量産に向いています。エールのように常温発酵だと腐ってしまうこともあり、手もかかり、量産には向かないようです。(いまどきは関係ないようですが。)ラガーも色々ありますが、売っているのはピルスナー、ドゥンケルくらいではないでしょうか。

ところで、日本では「生」と「ラガー」で分けてますね。生は生、ラガーは熱処理済、という感じですが、これは両方ともラガーです。熱処理の有り無しで区別することはビールの場合、普通しません。本来いちいちアピールすることではないと思います。生のことをドラフトとか言ったりしますが、ドラフトとは樽入りという意味です。熱処理済も樽入りならドラフトです。おそらく瓶詰め前、という意味あいでしょうね。生ビールも生だからうまいのでなく、新鮮で作りたての良い状態だからうまいのです。熱処理というところに目を付けたのは、日本酒の火入れからではないでしょうか。

海外のビールまで含めると私はランビックのグースという酸味の強いビール(エール)が好きなのですが、高いんですよね、実際のところ。

昨年の大河ドラマはつまらなかった。私の好きな新撰組があまり格好よくなかった。ハンパなくカッケーのが新撰組であり、そうでなければ単なるテロリストなのだが。

いつもの三谷幸喜そのままであり、そういう脚本家、演出家を連れてきたNHKプロデューサーのセンスを疑う。別に三谷幸喜は悪くないのに、嫌いになってしまいそうだ。そんな寂しさもあり、1/3は鳥羽伏見の戦い記念日ということで明治維新とゲリラ戦について考えさせられた。別に偉そうに分析するほど知識もなく、調べようとも思いませんが。

ところで、年末年始、休暇らしい休暇は30日だけで、かといって他の日は仕事していたわけでもないですが、その1日をどう過ごしたかというと「太陽の牙ダグラム」を見ていたのです。全話。LDを持っているのですが、面倒なので秘密の方法で見ました。

ダグラムはサンライズのTVアニメで、ガンダム系の中では最も好きな作品です。地球の殖民惑星デロイヤの独立運動に身を投じるクリン・カシム少年が主人公ですが、クリンの父ドナン・カシムは地球の最高実力者で保守本流の政治家です。デロイヤは殖民が始まってからそこそこ歴史があり、地球生まれの地球人とデロイヤ生まれのデロイヤ人で対立しているという構図があり、対立原因は地球人がデロイヤの既得権益を手放さず、また差別的な人材登用をするというわけです。ちょっと前の白人対黒人みたいな状況です。デロイヤを支配しているのは地球連邦軍第8軍で、これはデロイヤ現地登用したデロイヤ人中心の軍で、軍事クーデターとか色々乗り越えてここまできた経緯があります。

クリンは独立ゲリラのリーダー「サハリン博士」に惹かれゲリラ活動をするのですが、重用されダグラムのパイロットにされてしまいます。そんなこんなでゲリラ活動が盛り上がり、連邦第8軍からもゲリラに流れる人も多くなり、8軍だけではゲリラが抑えきれなくなり、独立が成ります。ただこの独立も名目だけであり、地球の各州のデロイヤ利権争いの結果にすぎないわけで、地球が本気になればその圧倒的軍事力によってデロイヤをいつでも取り返せるからそうしているだけ、というところで終わりという実に物悲しい作品です。

で、何が言いたいかというと、明治維新での旧幕府軍と、デロイヤでの連邦軍が良く似ているなあ、ということです。薩長軍(私は皇軍とは認めていない)とゲリラは全く似ていませんが。戦力を考えれば薩長2藩では幕府軍に勝てる道理がなく、ではなぜ幕府軍が負けたのかといえば、徳川慶喜がやる気なかったから、ということにつきるわけです。将軍がやる気ないんでは、その下では裏切りもあり、漁夫の利狙いもあり、まともに戦える戦力が揃わないので負けました、と。

今にしてみれば、産業革命から始まった技術進歩に国家体制を追いつかせる必要があったのは確かで、別に徳川家がそれをやっても良かったと思うのですが、既得権益を奪い取ることになるので国家体制の転覆というイベントが便利だったのかなと思ったり。でも私は幕末物語を見る度に幕府軍を応援します。新撰組、どうしても応援してしまいます。こういうのはガンダム系の影響が強いですかね。坂本竜馬とか、かなり嫌いなタイプの人間だし。

ちょっと上から物を見すぎな感もしますが、デロイヤの独立も成ったし、まあ良かったかなと思うが釈然としない。何か内容が無い上に支離滅裂ですね。
私は捻くれ者ですが、教育ついては真っ直ぐな考えを持っていると思っています。自覚がないだけ性質が悪いですかねw。

あちこちでゆとり教育が批判され、詰め込み教育へ向かおうとしている流れがあるようです。
曰く、国際競争力の低下が懸念される、と。
日経社説はこんな感じ。
散人先生は傍観気味。
finalvent氏は役に立たない正論。

私も役に立たない正論をひとつ。

憂鬱なプログラマ氏の日記にもあるとおり、ゆとり教育はそもそも平均点を下げる代わりに山の頂上を高くしよう、という発想から施行されたようです。が、教育課程審議会会長が言ってる話なのでこれも建前だと思います。

私は所謂ガンダム世代で、引き篭もり世代とも言われます。ゆとり教育が始まったのは団塊JRを含む世代の中で人口のピークが過ぎ去った頃からでしょうか。つまり生徒数の減少が見られ、街はバブルに踊っていた頃かと思います。

私は中学の頃、ゆとり教育が始まる直前ですが、成績はクラスで1番、授業時間は睡眠時間という性質の悪い生徒でした。先生ご苦労様でした。先生が怒る気持ちもわかりますが、こっちも寝るしかやることないんです。
まあ田舎の中学なので高校に入ると上位1/4にとどまれるかどうかという感じで、日本全体では上の下くらいですかね。こんな程度の私でも中学の授業の目的は意味不明で、私に合わせたら私以外の全員は寝るより仕方ないし、中程度に合わせたらその上下は寝るより仕方ない、下に合わせるのは論外、そんな感じでした。やあ、都会の私立中学とか羨ましかったなぁ。

髪型は全員坊主頭、部活動は強制参加(遊ぶ時間を与えない為)、服装、行動など、全て校則に従わないと呼び出され殴られる。校則の合理性など問題ではない。校則は憲法より重い。

これが詰め込み教育です。後半は管理教育だろう、という指摘があるかも知れませんが、同じことです。詰め込む為の管理です。これで平均点は上がりますが、上は伸びず、下は放置です。校内暴力などが問題になったのも、不良少年少女(今でいうヤンキーかな)がカッコイイとか思われたりしたのも、受験ノイローゼから金属バットで両親を殺す犯罪が生まれたのもこの頃です。これが所謂「詰め込み教育」です。

対して「ゆとり教育」というのは自由時間を増やして、学校外で勝手に育つのを待つ、消極的な作戦です。中学校でガラスが割られまくったとか、そういう話は聞かなくなったけれども、校内での刃傷事件は発生しました。私の母校の中学も、私が大学に入った頃に髪型は坊主頭でなくなり、何か色々緩くなったようです。とても清清しい気分でした。

しかしながら、これで伸びるのは都会の金持ちの子弟だけです。田舎の秀才は別に増えも減りもしません。授業は役に立たないし、学校外で勉強を教わるところもないからです。田舎の家庭は貧乏ですし。

ここまでで大体わかってもらえると思いますが、教育現場では「ゆとり教育」だの「詰め込み教育」だの、そんなマクロ的なことは最初から問題にならないのです。「ゆとり教育」は「詰め込み教育」批判への単純な対応です。毒にも薬にもならない、どーでも良い層の平均点が下がっただけのことです。

教育にはもっとリアルで根本的な問題があると思っています。そう、教員が生徒の面倒を見きれないのです。ゆとり教育による学力低下がそれを如実に表しています。ゆとり教育とは、生徒一人一人に合った教育をして初めて意味を成すものであり、現状のまま行えば変な個性だけ伸びて学力低下は当たり前です。一人で40人教えろと言われてできますか?どうしようもない馬鹿から秀才までいるんですよ。私なら言います「無理無理無理無理無理無理」。

「詰め込み教育」では平均点だけが上がり、「ゆとり教育」では平均点だけが下がります。分布はむしろ「ゆとり教育」が理想的でしょう。平均点だけに重点を置くなら「詰め込み教育」に決まっていますが、「ゆとり教育」の分布で全体のレベルを底上げしたいのなら、教員を増やすこと、教員の質を高めること、教室を増やすこと、これしかありません。

理想を言えば生徒1人に教員10人ってところですが、王子でもない限りそれは望めないでしょう。教員1人に生徒10人で手を打ちましょう。学校は遅くとも中学からは単位制にしましょう。自分に合った授業を選べるよう、単位履修のカウンセラーも用意しましょう。教員の質を高く維持するため、教員を客観基準(担当生徒の試験結果を絶対的な点数でなく前年度相対比較で)で採点しましょう。これで個性も学力も伸ばす教育ができます。

いや、これでは全然だめなのです。絵に描いた餅なのです。何がって、財源が。教育にはお金が掛かるのです。予算の縛りがきつくて、根本的な改革なんかできやしないんです。今のところ教育については費用対効果の関係式が見えていない。金を掛けた分、将来の税収が増えるかどうかわからない。私が生きている間に結論の出る問題ではないでしょう。

「ゆとり教育」と「詰め込み教育」なんて大差ない、どちらでもいいです。
ただエリート養成校の強化はして欲しい。それで十分ではないでしょうか。

「詰め込み教育」を受けた世代としては、若い人にはゆとり教育でやってもらった方が楽しくていいかな。


ダン・シモンズのハイペリオンです。
メタSFとか言われています。よく意味がわからなかったのですが、「メタ」っていうのは「超,高次,などの意味を表す」のだそうです。いわば劇中劇6作をまとめたような構成になっているからメタなのかと。とても楽しい小説です。

文庫本ですと上下巻に分かれて尚分厚いので手に取るのをためらうかもしれませんが、読み始めると厚さは感じません。これはこの小説が短編集のまとめという体裁をとっているため、とは書評でよく見ます。

ところでミステリー好きは分厚い長編が大好き、という話があります。実際、私はそうです。短編はあまり好きではありません。どうしても話がトリック中心になり、事件に至る経緯や思索という、最も楽しめる部分が疎かになりがちだからです。また、ミステリーやSFで一番つらいのは導入部だと思います。まず世界観や人間関係を頭に入れないといけない。洋物が多いので名前がカタカナであり、また文体が読みにくい。事件など始まっておらず、面白くなる前にこの壁を乗り越えなくてはならないのはかなりつらい。だからどうしても短編は拒否したくなる。せっかくがんばって世界観を頭に入れてもすぐ終わってしまうのでは面白いより先に嫌になってしまう。

ハイペリオンの場合、短編集のような構成とはいえ、世界観、時代背景などが同一であるので、その点がとても楽です。また、それぞれ微妙にジャンルの異なる小説に仕上がっており、楽しめます。なんていうか、どこかで見たことのあるような構成が6通りです。パロディっぽい感じがしますが嫌味ではありません。私はSF小説など4人の作家しか読んでいませんが、それでも既視感があります。漫画はいっぱい見てますから。

私のようにSFがそれほど好きでなく、これからハイペリオンを読もうという諸兄に助言です。この小説、導入部がとてもダルイです。物語は惑星ハイペリオンに巡礼の旅、ツアーに参加した人物それぞれが参加した経緯を語っていくという構成になっており、それぞれが独立した劇中劇のような物語として読めます。その物語と物語の繋ぎの部分がとてもダルイのです。特に始まりの部分では、登場人物が一気に出てきます。がんばって名前と性格を頭に入れようとしたのですが、全然だめでした。私は、その部分を読みきるのに3ヶ月かかっています。ほんの50ページくらいです。その間に他の本を10冊程度読みましたw。

最初は設定の意味がわからず、登場人物は多く、話は抽象的だし、こんな勢いでこの厚い本はとても読みきれないと思いました。しかし、上巻を読み終える頃には、その部分は斜め読みでよかったのだと気づき、とてももったいないことをした気分になりました。そう、物語と物語の繋ぎの部分は斜め読みで良いと思うのです。それぞれの人物の物語がそれぞれありますから、登場人物の性格などはその中で把握するように書かれています。つなぎの部分は気になったら後で読み返せば良いです。是非、読みきっていただきたい。

因みに私の好きなのは学者の物語かな。
12/24といえば嫁の誕生日だった。会社を5時に切り上げ、誕生日ケーキを買って家に帰る。

そして鮨を食べに出かけた。誕生日といえば寿司、或いは赤飯、或いはカレーと相場が決まっている。いや、カレーは一般的でないかもしれない。

世間ではクリスマスイヴとか浮かれているが、実に都合が良い。鮨屋が空いているのだ。出前注文も入らない。確かに派手な電飾、ケーキやチキン、シャンパンなど、鮨とは相容れないものである。

鮨にはビール、日本酒だ。燗でいただいた。実にふくよかで良い味わいだ。
カウンターに2人。お通しは数の子、湯通しした烏賊。
刺身を盛り合わせで、鯵、中トロ、青柳、赤貝。
握りは中トロ、煮穴子、平貝、海栗。あと2品くらい食べたが覚えてない。
お吸い物は貝。あっさりしている。味は、殆ど無いに等しい。しかし、なんとも旨い。

満足である。近所の鮨屋が良い。浦安は東京に比べると安くてうまい。

帰ってからケーキ食べた。これはこれでうまし。
ココへ猛然とトラックバック。
98~00年にかけて、携帯電話開発に携わった者として語っておきたい。かなり長文になってしまいました。

99年当時、真面目に携帯電話上で動くゲームを作ろうと考えていたのは確かに3人くらいかもしれません。
私はその当時、某社で携帯電話のハード開発に携わっており、502iの評価で徹夜三昧の日々を過ごしていたのですが、「できたらいいかもね」くらいのことはほぼ全員考えていました。実際に評価と称してゲームやってましたw。ただ、それを作るのはどうか、とは誰しもが思っていたことです。それには代償が大きいからであり、アプリ開発者の視点では理解できないこともあると思うので、ここで語らせてもらいます。

1.そんなにゲームしないよ

これは事業者が端末販売を行ったりとか、そういう販売システムにも絡むのですが。

携帯電話でゲームする人としない人、どちらが多数派かというと、私の周囲でサンプリングする限りにおいて、ゲームしない人が多数派です。これを日本全体に広げても大勢が変わるとは思えません。

では現在、ゲームのできない端末は売っているか?というと、まず売っていません。つまり、ゲームしない人もゲームのできる高性能端末を選択の余地無く買わされています。端末も利用料も、もっと安くできる筈なのです。しかし、電話事業者と端末製造者の都合が優先され、インセンティブを駆使した販売戦略でそれをわかりにくくし、結果的に高い料金を支払わされています。ゲームだけの問題でなくカメラや他のアプリもそうですが、どうにかしてもらいたいものです。


2.電話としての機能/性能に支障をきたす

私は折りたたみ端末は大嫌いで、電話としてあってはならない形状だと考えています。賛否あるかと思いますが、私のポリシーが少数派でないことは、元メーカーの人間として断言できます。しかし、小型⇒大画面と半ば強制的に需要シフトを喚起した結果、やむなく折りたたみ形状が主流と成り果ててしまいました。

多機能化の問題として端末形状の大型化もありますが、まず電源が有限であることが最も大きな足枷となります。電池容量は年々増えていますが、電力需要に追いつくほどではありません。省電力化としてμAオーダーで消費電流を削っていた者としてはちょっと許せませんw。あのLCDのバックライトが、JAVAエンジンが、高速プロセッサが、一体どれだけの電力を消費することか。考えただけで気が遠くなります。

携帯電話は通信機ですから、少なくとも家を出てから帰るまで、いつでもどこでも通信可能というのが大原則です。高機能化によってこの大原則が破られようとしていることは真に残念であります。


3.正直、あんまり面白くない

過渡期ということはありますが、もう何年過渡期なのでしょうか。正直、携帯電話でのゲームはあまり面白くないのです。

私はボンバーマンとロードランナーをダウンロードしてやったりしましたが、画面の大きさ、操作性が問題になり、どうにもストレスが溜まります。すぐやめてしまいました。まあこれは個人的感想なので、面白いという人がいればそれでいいです。

4.携帯電話以外の携帯機器の発展を阻害する可能性

これも個人的な好みの問題とも言えますけど。

実際のところ、100~200万画素クラスの小型カメラはもう売れない状況です。欲しいんですが。カメラに限らずゲームボーイの類も吸収されてしまう可能性があります。私は別個に持ちたいのですが。

また、私はWiFiを利用した携帯端末の可能性に大いに期待しております。電話で何故いけないのか、というと、電話はリアルタイム通信を保証したシステムなのです。そのため、FDMA/CDMA併用とかでがんばっているものの、通信速度の限界は現在の水準からとても低いと言わざるを得ません。WiFi等のデータ通信用規格ならば電話ほどのリアルタイム性は元々考慮されていないので高速です。しかし、現状の携帯電話で満足されてしまってはWiFiの普及が推進されません。とても残念です。システム設計上、データ通信と音声通信は別インフラを使うのが、社会にとって最も効率的な通信環境だと思うのですがねぇ。

5.結果として何ら進歩していない

携帯電話通信事業者はいろいろやっているようですが、私にとって携帯電話は何ら進歩していません。

- まとめ -
「電話の可能性を信じ、電話の可能性に賭けること」というのなら、SIMカードをとっとと導入して通信事業者が端末販売するのを辞めるべきです。可能性の追求はそれからにしていただきたい。払わなくて良い料金を払わされるのはかなわない。

別に好きにしてもらえばいいですが、私にとって携帯電話でゲームというのは、現状では一つの社会悪を助長するものであり、そういう人もいるということを知っておいていただきたいと思います。
何かこの辺をトリガにニートが話題になってるので語ってみたい。トラックバックは打つとメンドクサそうなのでやめ。
(追記:やっぱトラバしてみた。ここ)

ニートの何が悪いのか、全く理解できない。そもそも働かないことに理由が必要なのか。労働して金を稼ぐということは、衣食住が供給されている状況にあって必然とは考えられない。必然でないのに何故働くことを要求するのか、それを問いたい。

私も30歳の誕生日前後、4ヶ月程無職で過ごした。楽しかった。できれば続けたかった。自分の金で無職を過ごしたので、引け目とかないから所謂ニートとは違うのだけれど。
私は親の世話になるくらいなら死ぬので今日もこうして働いているわけですが、働かずにお腹の空かない環境があれば働きません。

ではそういう前提で、無業に問題があるなら対処するという方針で論じてみよう。

・税金を払わない
最初から頭数として勘定するべきではない。ニートも大人として考えるから問題なのだ。彼らの使う公共サービス分程度は彼らのスポンサー(親)が払っている。税金の支出面で負担になるのだろうか。収入面で問題とかいうのは人を馬鹿にした論理だ。税金払うために働いているわけじゃない。頭数で税収を期待するなら所得税でなく人頭税にするべき。つまり老若男女問わず、全員に課税する。払えないなら労働力で払う。強制労働という物納も可にする。子供や老人の分は保護者が払う。払えないなら労働力で払う。子供を作るような贅沢をしている世帯からはより多くとるべき。そういう論理もあっていいだろう。
ニートがニートを持った家庭外で社会的負担になるようなら、社会システムを変えれば良い。何が問題なのか。おそらく問題にしたいのは現状での不公平感だろう。当たり前なのである。生まれながらにしてみな公平なわけはない。働かなければ食べていけない自分の境遇が不幸であり、それを呪う。それだけだ。

・親が死ねばホームレス同然
まずホームレスは問題なのか。目障りなら居住区を作れば良い。
ホームレスを問題にする人は自分の代わりに働いてくれる者を、或いは自分が金を稼ぐのに手伝ってもらおうとか期待しているのだろうか。ニートが問題とか言ってるのは自分がより稼ぎたいというだけのエゴイストではないか。

問題は集約するとこの2点でしょうか。
要するに他人のことはほっとけよ、という話であり、ほっとけないのは近未来の自分の財布に直結しそうだから、ということなので、結局人生どれだけ強欲になれるかが勝負なのかなと。

そもそもニートになるタイプの人がここにきて増えたとも思えず、ニートになれる環境(世帯)が増えただけではないでしょうか。時間が解決する類の問題だと思います。