『海よりもまだ深く』を観た。


日常を描く映画はテーマがぼやけ、画が退屈になりやすいから苦手だ。
別にカーチェイスや爆破シーンが欲しいのではなくて、派手さが無いから誤魔化しが効かない。
歪ませたギターをかき鳴らし、バンドを組んでしまえば、それなりの聞き応えが出る。しかし弾き語りではミスも目立つし、簡単に実力がばれてしまう。それと一緒だ。

そして“日常を書いて、フィルムに収めました”、という自己満足が香りやすくて、安っぽく見える。


家族の絆を切り取った映画も難しい。
私は、観るだけでも家族でベタベタするのに気恥ずかしさを感じるし、家族の絆を撮れば客にうけるだろう、という驕りを(勝手に)感じる。

特に邦画だと、自分のと同じような街並みや、文化、会話で出来上がっているもんだから、自身との共通点を感じやすく、益々気恥ずかしさや居心地の悪さが残る。

容易に家族の絆で締めようとする映画は、「どうでしょう?泣けるでしょう」と言いたげで、それにそのまま乗ってやるのは悔しい。



日常もので、家族の絆が出てきて(邦画でもある)、!海よりもまだ深く』も私の法則に当てはめると、苦手な部類に入る映画だ。
でも良い意味で裏切られた。嫌じゃない、面白い。


なぜに“嫌じゃなかった”のか。
思ったのは、ヤラセ臭がなかったから

ヤラセを感じると、そうだこれは作り物の世界だったよなと余計なことを思い出す。
何テイク取り直したんだろう、脚本にはこんな動作のことも書き込んであるのかなと。
観賞中だったとしても。

そこまで冷めてなくとも、足のしびれや、空腹など、身体感覚が蘇ってきて、雑念でいっぱいになる。
せっかく創造的思考を駆使して没頭しているのに、その魔法が解けてしまい、現実の自分が現れるから。
俳優の演技、脚本・演出すべて自然だった。


俳優
樹木希林が、すごい。

私は、恥ずかしながら、いまさら樹木希林の良さを知った。
今まで彼女が出ている映画をしっかり観た記憶が無い。
私のイメージの中の樹木希林は、内田裕也の妻で、バラエティ番組に出ている、飾り気の無い、可愛げのない人だった。
全然“女優”じゃないし、どこにでもいそうな、ちょっと扱いづらそうなおばあちゃん。
そんな彼女の、素朴な演技の素晴らしさにやっと気付いた。

カメラが回っていても、全然カッコつけることがない。緊張や見栄が全く感じられないのだ。
役を与えられたから役をやっている、のではなく、(なんなら)樹木希林役で出ているんじゃないかと思うくらい、自然体だった

樹木希林と日常映画の相性が抜群すぎる。

本当にどこまでが演出で、どこからがアドリブか分からない。

お土産に買ってきたケーキの紐をほどいて置きっぱなしにせず結んでまとめる所、舐めて濡らしたふきんで(阿部寛演じる)息子の良多のシャツを拭き、嫌がられるシーン。

細かいところを挙げるとキリがないが、とってつけたような動作ではなく、生活の一部として、自然に行ったという表現が正しい。


樹木希林以外に印象に残ったのが、良多の息子、真悟。(吉澤太陽)
面白いくらい、表情が変わらない。能面みたいに。

でもそれが良かった。

子役養成所に入っていて、笑ったかと思えば次の瞬間にも泣き出せるような子供が私は苦手だ。
真悟はそんな器用さがない、等身大の子供だった。
夜の公園に行こうと良太に誘われた時に、ほんの少し笑顔を見せる、そんな役。
親が再婚するかも知れず、新しい父とも仲良くやっていかないといけない。
“父”のようにならないように、キチンと育てようとする母に抑圧された子供なら、こんなに能面になるのも分かる気がする。


脚本・演出
ヤラセを感じさせないのは脚本・演出も同じ。
カルピスを凍らせてアイスにしてしまう貧乏臭い方法や、一人で食べきれないくせに子供達が来ることを期待して、大量のカレーをジップロックしておくのだったり。
生活臭のする、フィクション。

決めた設定を後々のシーンでも活かす部分も好きだ。
娘に、葉書の代筆をさせる場面からスタート、「私は字が汚いから」「お父さんは字が綺麗だったよね」、へその緒の桐箱に下手に書かれた“真悟”の字……

「文字」に関するエピソードがたくさん挿入されていて、話のまとまりを生み出している。
またこのやりとりをさっき見た、というように、視聴者が親近感を感じ、私事のように愛しく感じる。

2回以上出てくる話題として、フィギュアスケート(フィギィアじゃなくてフィギュア、フィギュアスケートを始めた姉の娘)、将来の夢の話、姉が葉書の代筆を行うシーンと、良多の元妻が代筆を行うシーン。

どれだけ好きで感動したとしても、2時間丸々中身を覚えていないものだ。(特に私はあまり繰り返して観ないタイプなので余計)
このキャラクターはこういう性格なんだねと腑に落ちる前に、終わってしまう映画も多い。

だからモチーフが繰り返されるこの映画は、物事に対しての登場人物のスタンスが一層明らかになり、印象として強く残るし、2時間しか彼らと接していないのに、良多の父に対する葛藤や、同じになりたくない想い(客観的に観ていると、似てる部分あるのになと思う)がしっかりと伝わって、自発的な移入や共感が出来た!



名言
ダメだ、基本的に褒めてしかいないけど、魅力はまだある。

良多が勤める興信所所長「誰かの過去になる勇気をもつのが大人の男っていうもんだよ」

この一言で、所長はどんな恋愛を送ってきたのかがすごく気になって、キャラクターに厚みが出ている。

元妻「男の人はすぐ賞味期限気にするから」
樹木希林「何で男は今を愛せないのかね」
良多の同僚「女性の恋愛は上書き保存じゃなくて油絵」

嫌みのない女性性、男性性を的確に言い当てるような台詞に共感する。
「女性の恋愛は上書き保存じゃなくて油絵」とはよくぞ言ってくれた、これから使っていこうと密かに思っている。


テーマ
私が名付けたこの映画のテーマは「過去に生きる男が未来に向かって進み始める瞬間」だ。

亡くなった父のようにだらしなくなりたくないという葛藤、元妻と子供への未練、小説家だった昔への諦めきれない思い。

そして小説を書くためのネタ探しのためにと行う興信業。

過去と、理想の未来しか見ていない。

でも亡くなった父の思いを知り、元妻と正面から話せたことで、本当に元には戻れないことを知り、気持ちの整理がついた良多。
その瞬間を一視聴者として目撃できて嬉しかった。


まとめ
予定調和的に、主人公が成長して終わりなフィクションでないところも良かった。
成長を強制されない部分も、限りなくノンフィクションのようで。


ダメダメな良多でも、夢を持つことが許されるし、その夢を笑うことも出来ないんだなと、ふと思う。

大人が昔に見た夢があることを、それよりも若い人間は否定するし、忘れがちだ。
そして若者は大人になるにしたがって、自分が見ていた夢の存在を否定し始める。
自分が達成出来るものではないと、夢見ることを諦める。

私はまだ夢を見れる年齢なのかも知れないし、そうでないのかも知れない。
ただ昔から諦めることだけは器用で、諦めぐせがついてしまった。
そんな私に、こんなに落ちぶれた良多だって夢のひとつは持っているし、努力出来ていないからって夢を諦める必要はない、と語りかけてくるようで、ぐっと来た。

理想の未来に向かう変化は、良多にはひとつも起こらない。
でもそんな人間だって生きていていいし、希望を持って生きていい。

だから夢を諦めた人にこそ観て欲しい。
別に叶わなくても夢は夢だし、努力している人だけが見ていいものでも無いのだから。