最近サブカルと言う機会も、聞く機会も減っている気がする。
自身が学生では無くなったことも大きいし、自身がインディーズバンドから遠ざかりつつあるのもある。
しかし個人的な事を差し引いたとしても、サブカルが衰退している。


そもそも日本でのサブカルは、Wikipediaでもいくつか定義が上がっており、人によって捉え方が違う。
①政治的色彩を帯びたカウンターカルチャー
②政治色を無視した趣味領域限定のカルチャー
③オタク文化=サブカル


ちなみに私はどの定義とも一致せずに、自己流の解釈をしていたけれど。
簡単に言うと、ヴィレッジヴァンガードに入り浸り、“ナンセンス”を楽しめる人たちの好きなもの。
未熟なバンドやストリートファッション、不完全さ。
ナンセンスの中でも、痛い、グロテスクなものが好きな人はメンヘラ、アニメとゲームが好きな人はオタクと勝手に分類していた。



私が高校生だった頃にはガラケーを持っている子が多かった。
ガラケーだと情報収集や使い勝手に限度があるし、SNSも全然発達していなかった。
ドラマやジャニーズなどの“普通”の話題が多く、表のカルチャーと裏のカルチャーがはっきり分かれていた気がする。
インディーズバンドを知っている優越感を感じることも出来たし、それを知っている一部の友達と語り合うことであなただけは分かってくれるという仲間意識も強かった。


全てがスマホのせいではないけど、人々がスマホを持つようになり、各々のカルチャーが各々のスマホによって作られ始めた。
テレビや新聞のように一定のあてがわれたものから選ぶスタイルではなく、自分の興味関心を検索画面に打ち込んでどんどん奥に潜っていける。自分の好きなものを得られる。
見たいものだけ見れる傾向が強まり、同世代だから通じるネタや文化も減ってきた。
“サブ”カルの逆、メインカルチャーが揺らいできた今、どれが“サブ”なのかは分からない。

SNSも発達して、似た趣味の人間が集まり合う。類は友を呼ぶ。
パイの小さかったものもネットでファンをかき集めれば結構な数になる。

一部のファンに愛されてきた漫画もあっという間にドラマ化、映画化され、垣根が無くなってきた。
分かりやすく対峙するメインカルチャーが無くなってしまった。
よってたかってもてはやされるコンテンツが無くなりつつある。
サブカルが出世したのか、人々を隔てる壁がなくなったのか?

皆が好きなものを探し手に入れられる状態は素晴らしい。
歴史的重みも教養もないカルチャーだって評価してもらえるのも嬉しい。
SNSで探せばマイナーなもので意気投合出来る人が見つかるようになった。
でも人の好みの多様化で分かり合える人間が減っているのは寂しい。
サブカルを愛す人間の、少し痛くて、自慢げで、教養が無い自分を恥ずかしく思うところとか、そんな可愛らしさを見る機会が減って私は寂しい。