青春小説の金字塔をこの歳になって読むとは思っていなかった。

青年期に読まなければ魅力が半減すると思っていた。
でも多感な10代の感情の伸びやかさ、生きづらさは、20代の今読んでも変わらず共感出来て驚く。

退学処分を受けたホールデンが、家に帰るまでの出来事を一人語りする形式で進んでいく。
その道中色んな人間と出会い、さらりと別れていく。


社会や大人は「あなたはあなただ」と口では言うが、結局人と比べた状態でしか個人を見てくれない。

それらと戦う術を知らずに、でも服従するふりをする器用さも持ち合わせていない彼に同情する。

暴力で物事を解決したがらないけど、内面には社会や世界への反抗に溢れる彼。
彼が“大人”になった姿を想像できない。摘まれてしまうのではないか。そんな危うさも魅力ですらある。



1945年に原形となった作品が掲載され、本作は1951年に出版されている。
第二次世界大戦の混乱と閉塞感が詰まったこの作品は、朝鮮戦争の閉塞感や無意味さを感じる若者に響いたのだろうか。

当時だけではない。現在でも絶大な支持を得ている。
現代の私にも響いたのは、社会からの重圧は時代を超えて共通していたこと。
そして彼との共通点があるからだろう。

・こうした方が良いとは分かっているのに逆の事をする

・突然そぞろ神に取りつかれたかのよう活発に活動する

・偏見と私見にまみれたレッテルを貼る(傷付けられないための自己防衛なのだろうか)

・取り柄が無く、何事も満足にこなせない

・自分のこだわりと平和主義の合間で揺れる

・意地っ張りで天邪鬼

・文学をかじる
 

彼に出来て私に出来ないことは、嫌なことと好きなことがはっきりしていて、心の中で言葉出来ること。

ただ自分と似ているから本作を支持しているだけではない。
彼が純粋さと他者に対する平等な優しさを持ち合わせているところが大事なのだ。

嫌いな相手でもちゃんと話し相手になってあげる所、妹への無償の愛、劣等感を感じた同室人への心遣いなど優しさに溢れており、また他人によって痛い目を見ることがあっても人自体を憎まない。
(それが他の登場人物には伝わらずに進むのが心苦しくもあり、感情移入ポイントでもある。)

彼は決して人嫌いなのではなく、社会の閉塞感や圧力など見えないものと戦っている。


この本を読んで私も戦いたいと思った。

理不尽に遭遇した際に、自分がもっと大人になれば良い、喧嘩せずに丸く収めたい、エネルギーを節約したいなど、理由を付けて自分が折れていた。
自分自身も自分に「大人」を押し付けていた。

でもその「大人」って何だろう。
大人だねと言ってもらう代わりに、口をつぐむっておかしく無いだろうか。
欲しいものを欲しいと言うからと言って「子供」だと言われるのもおかしい。

社会や大人は普通を振りかざし、優位に立とうとする。
説明責任を回避して自分の正当性を押し付けてくる。
目的が論破や抑圧になっている「普通」には屈したくない
私もそういう意味での「普通」は使いたくない。

そんなやつは「大人」という言葉の権力にすがる小者か、それとも知らずに洗脳された可哀想な人間なのだろう。

私は怒ってもいいし、拒否してもいい。その勇気を持ってもいい。
(自身の精神衛生上、戦わない選択はアリなんだよ)

もっと物事と戦ってもいいんだなと思えた。
勝てる、勝てないではなく、自分に素直かどうか。