ご来訪いただき、有難うございます!
いやー、カラダはなかなか思うように
はならないモノですねー。
今度は、腰の激痛で立てなくなりまし
た。歩けないではなく、立てない。
整形外科にも行きました。
「外科的にはそんなに悪くないんです
けどねー」
立てない騒ぎをしてるのに、悪くない
とおっしゃる。
「内臓系だとすれば、内視鏡を飲んで
みますか?」
わたしはステントが入っているので、
MRIが撮れません。だからCTでは映ら
ない系の疾患だと、とても大事(おお
ごと)になります。例えばCTと内視鏡
をセットで実施して診断をくだされた
りする訳で、面倒臭いコトこの上無い。
現状では、レントゲンと血液検査で何
も判らないそうです。
今も腰に劇痛の走る中、コルセットを
ギッチリと巻いて、何とか仕事には出
始めたのですが、先日或る企業から集
荷の荷物が50㎏超えの本当に重いモノ
が出て来て、台車に載せるだけで涙が
出て来ました。その後しばらくは、ま
っすぐ立てなくて閉口しました。腰を
伸ばすと劇痛で腰を曲げて台車を押し
て来たから帰って来られましたが、思
うように動けるコトは、とても有難い
コトなんです。この腰の激痛のおかげ
で、楽しみにしていた人と逢えるチャ
ンスが消えてしまいました。その人と
逢う予定で休んだ日に整形外科に行く
ハメになってしまいました。その人と
東京の街並みが一望出来るスポットを
一緒に訪れる予定でしたが、思うよう
に歩けないのに、高度のある場所へ行
くのは危険なので断念せざるを得ない
状況となりました。本当に残念ですが
何とか治して絶対に行けるようにしよ
う!と心に誓いました。
思うように動けるコトに感謝する気持
ちなんて、若い頃には全く想像もした
コトもありませんでした。
若い頃…と言えば、小学4年生の夏休
みの自由研究で、夏休みももうすぐ終
わるという頃まで何も考えて居なかっ
たわたしは、おっかさんが作っていた
花壇をぼんやり眺めていたのですが、
その中でメチャメチャ目立っている花
を見つけて、いきなりテーマが決まり
ました。
この花の絵を模造紙の真ん中に大きく
描いて、この花の名前や咲く時期、花
の部位の名前、等々…をまとめて自由
研究にしよう!と思い立ちました。
で、この花の絵を模造紙の真ん中に描
いていると、おっかさんが、
「へえー、大輪ダリアの絵を描いて自
由研究にするの?花びらが丸まってい
るから難しいでしょう?いいんじゃな
い?素敵だと思う。おかあさんも手伝
ってあげようか?」
と言って来ました。この時点でわたし
の負けが決定したのですが、何が起き
たと思いますか?
実は、この自由研究の「大輪ダリアの
観察」は、この年の自由研究部門でク
ラスで金賞、学年でも代表作品に選ば
れて、区役所に飾られたりしました。
1年ほど経った或る日、夏休みの自由
研究を何にしようかな…と百科事典を
見ていました。なんとなく、ダリア…
という項目を眺めていて、息が止まり
ました。去年、花びらの所から線を引
っ張り「花弁」と書いたのです。とこ
ろが百科事典によると、ダリアは「多
花類」と言って、花びらに見える一つ
ひとつが花で、それが集まって花のよ
うに見えるコトから「多花類」と言う
と書いてある…。
正直なところ、自分で調べていれば、
こんな間違いは起こさなかったと思い
ます。おっかさんの言う通りに書いた
おかげで間違えた。でも、せっかく手
伝ってくれたおっかさんを責める話で
も無い。どうしたらいいか悩みながら
おっかさんに、
「去年の自由研究の『大輪ダリアの観
察』で花弁って書いたところの一つひ
とつが花なんだね。間違った研究を提
出しちゃった…。せっかく手伝って貰
ったんだけど、おっかさんも知らない
のに手伝うとか言わないでよね。でも
ちゃんと調べないで出した僕が悪い」
と言うと、おっかさんはヒラ謝りで気
の毒な感じさえしました。そして、
「すぐに先生に言いなよ。区役所にま
で飾られちゃったんだから、よく謝っ
て訂正させて貰いなさいな」
と言い出しました。わたしもその通り
だと思ったので、先生に話してみまし
た。先生は、わたしの言うコトを確認
しながら聞いていましたが、
「先生の一存では決められないから、
ちょっと待ってて。友達にもこの話は
しないコト!」
と、言われました。そして、帰りの学
活が終わると、職員室に呼ばれました。
「この件は、訂正しないコトにしまし
た。だから、誰にも言わないコト。学
校の代表として、出した作品である以
上、チェックした先生方もそれを知ら
なかったコトになるでしょう?だから
正式に訂正はしないコトになりました。
もちろんクラスの友達にも余計なコト
は言わないコト。わかりましたか?」
もちろんわたしは、
「わかりません。先生達の無知を隠す
ために、正しいコトが解ったから訂正
したいという申し出を断るという行為
は許せないコトだとしか思えない。冤
罪を生む警察みたいじゃないですか!
教育の場では、間違えたコトを訂正す
るコトはむしろ大切なコトだと、僕は
思います!」
と反論しましたが、担任との話だった
筈が、学年主任の先生や教頭先生まで
出て来て、いつの間にか職員室の大人
対小学5年生のわたし一人という構図
で、酷いパワハラ状態で反論なんて出
来ない空気の中で、押し切られる形に
なりました。
家に帰ってその話をすると、おっかさ
んは激怒して、すぐ学校に電話して職
員室に乗り込んで行きました。烈火の
如く抗議するおっかさんに対し、教頭
が泣き落としに掛かったそうです。
「何事も無ければ私も何処かの学校で
校長になれるでしょう。もし、今回の
件が表沙汰になったら、わたしは校長
にはなれないと思います」
みたいなコトを言われたそうなんです。
正しいコトを主張するだけなら、おっ
かさんは強い人です。ただ、泣き落と
しには免疫がなくて、何と言ったらい
いか分からなくなったそうなんです。
おっかさんは親父に悔しかった話をし
始めました。親父は、
「先生達の言いそうなセリフだなあ。
生徒の気持ちは置いてけぼりで、保身
しかないもんなあ。おまえも、もう少
し、子供が人質に取られてるコトを考
えて行動した方がいいぞ。とは言え、
今回は全面的におまえの行動を支持す
る。結果的にうまく行かなかったとし
ても、ウチの考え方は伝わっただろう
し、過ちて改むるに憚かるコト勿れ、
だよ。間違えを直すな、という態度は
教育現場ではあってはならないコトだ
と俺も思う。だから、おまえの行動は
正しかったんだ。ただし、負けたよう
な結果になって悔しいだろう。だから
今度、学校に行って教頭と顔を合わせ
たら『先生には《貸しいち》ですから
ね』と言ってやれ。教頭はずーっと悩
むコトになるからね」
おっかさんが次の父母会の後、教頭に
「貸しいち」と言って来たのは言うま
でもありません。
間違えたコトが悔やまれる訳ではあり
ません。間違えたコトを事実が解って
も訂正出来なかったコトが心残りでし
た。たまたま、中学2年の時、理科の
第2分野(生物と地学)で夏休みの自
由研究の宿題が出て、「大輪ダリアの
観察〜事実経緯と誤謬訂正〜」という
事実を全部書いたレポート形式の宿題
を提出するチャンスに恵まれました。
学校内では金賞を取りましたが、先生
方の配慮で、区役所への提出は取りや
めました。わたしも、その手法が一番
いいような気がして、数年間心残りだ
った事柄を吐き出せて、とても気が軽
くなったコトを思い出します。
その時の担任の先生の言葉は今も忘れ
ません。
「学校は正しいコトを教える場ではあ
りません。教えたコトを正しいと信じ
込ませる場なんです。皆さんが疑問を
感じた時、たぶんその疑問が正しい。
それを忘れないコトが、人生を豊かに
するキッカケになるのかも知れません」
いい先生だと思いませんか?短い言葉
で、事実を言い切っている。この言葉
で、わたしは救われた気持ちになりま
した。
今でもダリアの花が咲いているのを見
ると、その時のコトを思い出します。